-
マルマン株式会社 代表取締役社長
井口 栄一(1977年 経済学部 商学科卒業)
大学卒業後、5年間の総合商社勤務を経てマルマン株式会社へ。営業、経理、企画等を経験して、2001年、先代社長の井口秀夫氏の跡を継ぎ、代表取締役社長に就任。ヘボン経済人会にも所属し、若手経営者や学生に対する育成支援にも力を注ぐ。
父が明治学院大学の卒業生だったことがきっかけで明治学院 中学校/東村山高等学校を勧められ、自由な校風が気に入り入学しました。自然あふれる環境に、大きな校舎。のびのびと過ごした日々の学生生活、そしてアメリカ人の先生方との交流は、今もなつかしく思い出します。忘れられないのが、1972年、高校3年の夏に行ったアメリカはミシガン州での40日間のホームステイ。シカゴから郊外、カナダに近いフリーモントという街でアメリカ人のご家族にお世話になりました。日本人自体の留学が珍しいと思われる時代です。地元の人たちが注ぐ好奇の目、アメリカ人の考え方や見方。日本人とアメリカ人で捉え方がこうも違うのかと、全てが強烈な印象でした。
ホームステイを終え、羽田空港に降り立った時の気持ちを一言であらわすと「なんか違うな」。アメリカで見て、聞いて、体験したことがとても強烈だったせいか、慣れ親しんだ日本の雰囲気がこじんまりとしたものに感じるようになりました。私が抱えていた海外に対してのコンプレックスをきれいに解消できたのもホームステイのおかげです。「とにかく何でもやってみる」ことを学んだホームステイの経験は、今でも私にとって大きな財産です。
とにかく何でもやってみて、「知りたい」と思うようになったことがきっかけで、旅行研究会に入部。普段の日常生活では出会えない世界、経験に大きな魅力を感じました。旅行研究会は、ただ旅行をするのではなく、研究テーマを掲げて旅行をするのが特徴。「古い」と「古さ」の違いをテーマにした三重・和歌山・奈良の旅行は良い思い出です。テーマを掲げることで、出会う景色や人々との会話にもより一層の意味を持たせることができます。事象をどんどん深掘りし、物事の本質を見極めることの大切さを学びました。
サークル以外には、勉強はもちろんですがアルバイトもたくさん経験しました。高校3年から大学4年までの毎年の夏休み、当時、神奈川県相模原市にあった当社の工場に住み込みで1ヶ月アルバイトをしました。家業を継ぐため、というよりは、当時はお小遣い稼ぎが大きな目的でしたね。それでも工場の生産過程を全て学べた訳ですから、今振り返ると良い経験だったと言えます。自分のやりたいことをやりたいように、そしてやれるまでやる。中学校/高等学校にも通じることですが、懐の深い、おおらかな雰囲気の明治学院大学だからこそ過ごせた大学生活でした。
大学卒業後は紙の関係の商社に行こうと決めていたため、大永紙通商(株)(現:国際紙パルプ商事)に就職しました。結婚し、子どもも生まれ、仕事に注力する日々。大永紙通商(株)で商社マンとして働き続けることを決めていましたが、そのことを父に告げると「とにかく帰ってこい!」の一言。やはり、父は私がいつか家業を継ぐだろうと思っていたんですね。そんな父からの熱意ある説得もあり、1981年、28歳でマルマン株式会社へ転職しました。とは言っても「新入社員」。自分にも相手にも厳しい父でしたので、特別扱いは一切ありませんでした。入社後は営業から商品企画まで社内の各部署を一通り経験したおかげで、社内で、何かが起きるとどこで何をすべきなのか手に取るようにわかるようになりました。社内の各部署を一通り経験することは、将来経営者を目指す方にもぜひおすすめしたいところです。
1991(平成3)年、父(先代社長)と共に当時の仕入れ先であるオーストリアのメーカーや、ドイツで開かれた機械の展示会などを視察しました。グローバル化の必要性を肌で感じる良い経験になりましたが、特に印象に残ったことは本当の「ものの作り方」。たとえば、ファイルの命であるバインダーを支える嵌合(かんごう)。ここのかみ合わせが悪いとバインダーがすぐに開いてしまいます。そのため、ヨーロッパでは嵌合で使用する鉄選びにとことんこだわることで、頑丈な仕上がりになります。バインダーなどに付属するフィルムポケットも同様です。優れた素材と機械を用いることで、ドイツはフィルムポケットの生産を大きな強みとしています。
たとえどんな小さなものであっても、最良のものを作るためには、それに関わる人たちが編み出した作り方や考え方、そして熱意が込められています。父は私にそのことを伝えたかったのでしょう。バブル崩壊(1991年)以降は減収減益に直面しましたが、従来から変わることのなかった紙の仕入れ体制に着目し、紙の仕入れ先について研究。質を担保しつつ、大幅なコストダウンに成功しました。3~4年は減収増益となり、内部留保することで財務体質強化のきっかけにもなりました。細部にわたるこだわり、そして物事を大局的に判断するグローバルな視点。海外の視察で学んだ2つの経験は、当時、そして社長としての現在に至るまで、自分の根幹を支える大切な要素です。
人間はアナログな生き物です。デジタルのツールは使いこなせても、人間そのものがデジタルになることはできないと考えています。今、世の中ではデジタルに対する反発が起きています。イギリスの20~30代女性が発端でブームとなっている「大人の塗り絵」が良い例かと。20~30代の女性たちと言えばデジタルを使いこなしている世代と言えますが、だからこそ、塗り絵で得られる新鮮なライブ感が求められているのでしょう。ペンや万年筆も同様です。「書く」ことでアイデアがどんどん生まれると思います。アメリカのビジネスパーソンは「書く」人が多いと言われていますが、学びはもちろん、発想を生むことや考えをまとめることと「書く」ことは、切っても切り離せない関係にあるのではないでしょうか。
「デジタルに変わってしまうもの」「アナログでなければいけないもの」「デジタルと融合して発展していくもの」。我々のビジネスをふるいにかけるとこの3つに大きく分かれます。芸術や書道など感性によるところが大きいものはアナログでなければいけませんし、効率化が求められるものはデジタルに変わる、あるいはデジタルに融合し、発展していく必要があります。そのための価値を提供し、世の中に認めていただけるかどうか。まさに当社の使命はそこにあります。メモがスムーズに切り離せるようミシン目をより細かくしたり、書き味を高めるために紙質を常に改善したり。お客様に当社の製品の本質(こだわり)を認めていただければ、何度でも購入いただける。そのようなお客様との関係を、いつまでも大切にしていきたいと考えています。
どんな未来を迎えても、一番大切なのは物事を前向きに捉え、その姿勢を維持することです。世の中が変わるスピードはどんどん速くなり、過去の経験則が通用しない場面もあります。物事を柔軟に判断できる力が求められますが、その力を養うには、若いうちから何でも経験しておくことが大切。海外に目を向けることは特にお勧めします。
そして、自らの判断基準を持ってもらいたい。明治学院大学の教育理念“Do for Others(他者への貢献)”が示す通り、人間の基本は、相手への誠意、感謝にあります。その気持ちをもって行動すれば、それだけ良い経験に出会えます。経験があるから価値観も決まりますし、価値観あっての判断基準です。物事の本質を見抜く力も、判断基準を磨くことで備わるものと考えています。特に若い皆さんにはどんどん挑戦し、自分にしかできない経験を身につけてほしいですね。