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心を揺らし、問い続ける

2023.06.28

「たとえ続けられなくても良い。そこで心の揺れを感じられたら…」そんな気持ちで高校時代からボランティアをはじめ、大学入学後もさまざまな活動に参加。2022年度秋学期にはスウェーデン留学も経験。そんな岩倉さんの心の揺れ、問い、明日に向かうための行動とは。

岩倉日南子 社会学部 社会福祉学科 4年

社会学部社会福祉学科、ソーシャルワークコースに所属。小さい頃からバレエを習いはじめ、趣味は芸術・映画・海外ドラマ鑑賞。その影響もありスウェーデン留学を決意する。影響を受けた本は、フランクルの「夜と霧」とユーゴーの「レ・ミゼラブル」。

人生がレモンを与えたのなら…

“When life gives you lemons, make lemonade”(人生が酸っぱいレモンを与えたのなら、それで甘いレモネードを作ればいい)
“レモン”を人生においての苦しいことや辛いこと、困難に例えた、ある作家の言葉です。高校生の頃、レモネードを販売し小児がんの子どもに寄付をする、レモネードスタンドという活動を取材した新聞記事でこの言葉を知りました。

振り返ってみると、同居していた祖母は私が物心着く前から認知症だったことなど、さまざまな困難を抱える人たちの存在や出会いが多くありました。

例えば、高校生の時に経験したきょうだい児のボランティア。病気や障がいで入院している子のきょうだいと院内で一緒に過ごすボランティアです。きょうだい児は、きょうだいの病気や障がいに対して、お互いに不安やプレッシャーなどを感じやすいという背景や親御さんと過ごす時間が少なくなる可能性もあることから、自己肯定感の低下や寂しさを感じやすいとされています。入院している子どもに付き添うために毎晩寝返りも難しいような簡易ベッドで休み、食事はコンビニで済ませる親御さんの姿や懸命に命を救う医療従事者の姿。誰が悪いわけではなく、社会のあり方によってそうした現状があること。必要な場所に必要なケアが行き届いていないことにもどかしさを感じていました。不条理や不平等を目の当たりにしてきたからこそ、自分が大人になった時に他者に寄り添える人でありたいし、寄り添える仕事に就きたいと思い社会福祉学科への入学を決めました。

ある言葉との出会い

入学直後、「現代平和研究1」という明治学院共通科目の授業で、「応答責任」という言葉を知りました。主に広島・長崎の原爆の被害について学ぶ授業なのですが、被爆者の方の講演を聞き、心が大きく揺さぶられ、これ以上原爆で悲しむ人を生まないために自分にできることはないのか?と授業のたびに思っていました。2020年の春学期に受けた授業で、授業は全てオンライン。外出もあまりできなかった時期でした。何かしたいけど、何もできない。なかなか行動に移せない状況に歯痒さを感じていました。

現代平和研究1をはじめ、社会福祉学科で学ぶ中で、小学生の頃、自宅にユニセフからのお便りが届いていたことを思い出します。
「どうして知らない子どもに寄付をするの?」
「あなたと同じ時代に生まれても、生まれた国が違えば、全く違う人生を歩む子どもたちがいる。悲しいことに戦争に巻き込まれたり、おなかをずっと空かせていたり、苦しい生活を強いられている子どもたちがいるんだよ。」
母は私が生まれた月からマンスリーサポーターとしてユニセフに寄付をしていました。「応答責任」は難しい言葉のように感じるかもしれませんが、相手の声に耳を傾けて、心が揺れて何かしたいという思いからできる範囲で応えていくことだと考えています。母の言葉が、私の中で応答責任につながった瞬間でした。

スウェーデンへ

大学1年生の頃から漠然と留学に行きたいという思いがありました。海外ドラマや映画を見たり、来日したバレエ団の公演を見たりする機会も多く、海外への憧れと興味が強かったです。

社会福祉学科の授業のなかで、スウェーデンは福祉国家で社会保障の面だけでなく、ジェンダーや環境問題などさまざまな面で進んでいると学ぶ機会が多く、留学先としてスウェーデンを選んだのは自然な流れでした。日本の福祉においてもちろん良い部分もあれば、当然課題もあると感じていましたし、それはきっとスウェーデンも同じはず。スウェーデンが課題として抱えていることがあるなら、自分の眼で見て、肌で感じてみたいと思いました。2021年の秋に、2022年秋出発のスウェーデンのセーデルトーン大学の交換留学に出願します。

余白が作りだす社会

スウェーデンでは、ベビーカーを押すお父さんの多さ、緑あふれる環境、大学、病院や福祉施設、どこに行っても広い敷地にまるで家のような温もりを感じられるような建物で、「ああ、スウェーデンに来たんだな」と感動を覚えました。スウェーデンで出会ったフランスの友人はジェンダーの平等を、イタリアの友人は持続可能な社会について学ぶためにスウェーデンに来ていました。日本だけでなく、他の先進国もスウェーデンに学ぼうとするほど魅力がある国。そんな国が抱える問題が見えた時に、もっともっと良い社会を作るためのヒントが見えてくるのではないと期待が膨らみます。

もちろん、フラストレーションを感じることもありました。朝水道をひねったら水が出ない、一日中停電が復旧しない、日本から送られた手紙は届かない…福祉としては理想的かもしれない、ただ日本で暮らしていると心配もしないようなことを心配しなければならない、そんな日々を送っていました。

一方で、スウェーデンは時間の使い方や土地の使い方まで、いたるところに「余白」があふれていると感じました。例えば「Fika」。家族や友人、同僚とお茶をしながらおしゃべりし、親睦を深めたり、リフレッシュをしたりする文化です。セーデルトーン大学の授業でも1回の授業につき15分間のFikaがあり、私はいつもクラスメイトと雑談をして過ごしていました。「Fika」以外でも私が履修していた社会科学系の授業はディスカッション形式の授業が多かったこともあり、課題を図書館やカフェ、時には旅先など好きな場所で取り組むことができましたし、日差しの少ない冬は時間をたっぷり使って手の込んだ料理にチャレンジすることも。そうした「余白」の中で、個々が自由に時間を使いそれをとても大切にしているように感じていました。

日本では、生活保護を受けている人へのバッシングが問題になったりもしますが、スウェーデンでは個々の時間を大切にしていることや個人主義の雰囲気、行政の仕事の透明性が福祉に対する差別・偏見が少ない背景なのかなと考えました。スウェーデンと日本を簡単に比較することはできないですが、お互い学ぶべきところがあると感じましたし、違いを知ることがより良い社会を作るための一歩になるのではと考えるようになりました。

自分に問い続けて

日本は、誰かが困難を得た時(例えば病気になったり、失業したりしたときに)再び立ち直ることが非常に難しい社会であるように感じます。私自身の考えとして、壮大すぎる話かもしれませんが、そういった人を含め万人が自分の生きがいを持って精神的に、身体的に、社会的に健康に生きていける、生き直せる社会であってほしいと考えています。

そのために、今できることをできる限りやろう、そういった思いで「パブリックヘルス」を追及するために大学院進学を予定しています。ボランティアも、勉強も、一人の力で社会は変わらないかもしれない。でも、今の自分にできることを積み重ねていった先に、より良い社会はあると信じています。

明学での学びのなかで、先生や友人から「なぜそう思うの?」と問いを投げかけられることが多くありました。問いだと思っていなかったことが問いになり、興味になり、今これからの道につながっています。

パブリックヘルスはわかりやすい言葉で言えば、社会全体の健康を考えることです。 誰がどこに生まれたとしても、それぞれが生き生きと尊厳を持って生きていけるように。誰かの明日が少しでもより良いものとなるように。そんな社会に一歩でも近づくように、これからも他者との出会いと問いを大切に、心を揺らし、今の自分にできることを積み重ねていきます。

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