- 大石 英司 1969年大阪府生まれ。1994年経済学部商学科(現・経営学科)卒業。広告制作会社、PCソフト開発会社、凸版印刷を経て、2011年に独立。みんな電力を設立する。小型ソーラー充電器を活用した「エネギャル」キャンペーン事業などを展開し、2016年から再生エネルギーを産地指定で購入できるシステム「顔の見える電力」をスタート。2021年10月に社名をUPDATERに改め(みんな電力は再エネ事業名として継続)、電力に限らずライフスタイル全般において顔の見える化を促進する。
電力事業からスタートし、ライフスタイル全般の見える化に取り組むUPDATER(旧・みんな電力)代表取締役の大石英司さん。大学時代のゼミで、人生が大きく変わったといいます。どんな大学生活を送り、それが今の仕事にどうつながっているのか、お話を伺いました。
今、皆さんが着ている服や、今日の食事の中で、生産者を知っているものはどれだけありますか?
ほとんどの人が、ひとつも知らないのではないかと思います。服にも食べものにも当然、生産者がいます。しかし、今の私たちは、生産者の顔が見えないものに囲まれて生活しています。産業革命以降、世界は大量生産・大量消費の中で経済発展を遂げました。その一方で、どんどん“顔の見えない化”が進み、格差が広がったと思っています。
生産者の顔が見えないから、1円でも安いものを買おうとする。でも、その1円でどれだけの人が泣いているのか。1円高くても、いろんな人が幸せになる商品があれば、みんなそちらを選ぶのではないかと思うんです。
また、自分が日々使っているパソコンやスマートフォンに組み込まれているリチウムイオン電池の原材料は、もしかしたらアフリカ・コンゴの子どもたちが劣悪な労働環境下で採掘したものかもしれない。顔の見えない製品の中に、環境破壊や児童労働、労働搾取などにより作られたものが含まれている可能性もあるのです。
私が設立したUPDATERは、ブロックチェーンの技術を活用して「顔の見える化」を推進し、それをいろいろな社会課題の解決につなげていこうとしている会社です。例えば、毎月支払っている電気代が誰に支払われているのかがわかるといったサービスを提供しています。電力事業からスタートしましたが、空気のデータ化とソリューション提供を通して安心できる空間を実現する「みんなエアー」、暮らしを囲む“モノ”や“コト”のルーツやストーリーを明らかにするオウンドメディア「TADORi」の運営など、今はライフスタイル全般に事業対象を広げています。
大学卒業後、コピーライターになりたくて広告制作会社に入社しました。2年ほど学んでベンチャー企業に入ったのですが、給料が支払われなくなり凸版印刷に転職。新規事業の部署でさまざまなサービスを立ち上げていく中で、みんな電力のアイデアが生まれました。ある日、地下鉄で通勤中に、目の前に座っていた人がソーラーのキーホルダーを付けていたのを見て、「顔を知っている人が作った電気を買いたいという需要があるのでは?」と思ったんです。そこから自然エネルギーの大切さを伝えるアイドル「エネドル」も誕生しました。
遊びのような発想から生まれたビジネスですが、当時から社会課題を解決したいという思いは強くありました。僕が生まれ育った東大阪はいわゆるベッドタウンで、教育格差、経済格差の大きな地域でした。子どもや高齢者が電気を作り、それを売ることができれば、生産年齢人口に含まれていない人も富を作り出すことができます。それが貧困の解消につながればいいな、という思いが根底にありました。
このビジネスで独立を決意し、2011年にみんな電力を立ち上げました。当時はまだ太陽光発電の固定価格買取制度や電力自由化も決まっていない時代でした。苦労したのは、資金繰りです。その時はソーシャルゲーム全盛期で、電気の見える化だ、エネドルだ、エネギャルだといっている僕らの資金調達は難航。やりたいことをどれだけ真剣に説明しても、1000人中1人くらいにしか理解してもらえませんでした。それでも、上司に土下座してまで投資を決めてくれたベンチャーキャピタルの担当者との出会いがあったり、世田谷区との共同事業が進んだりする中で、少しずつ注目を集め、事業が軌道に乗っていきました。その結果、自然エネルギーを活用した電力による地域間連携の推進などが評価され、ジャパンSDGsアワードで「SDGs推進本部長(内閣総理大臣)賞」をいただくまでに成長しました。
時代は大きく変わり、今では「SDGs」や「ESG」という言葉がブームのようになっていますが、世の中の動きは少し義務感が先行しているように感じます。僕らは「自分たちが楽しいことしかやらない」と決めています。八百屋のおじさんみたいな僕がやっている事業なので、別に流行に乗ってキラキラする必要はないんです。泥臭くていい。楽しくて儲かることを大事に、一つひとつ顔の見える環境を作っていきたい。それが、行き過ぎた大量生産・大量消費社会を見直し、経済や人と人との関係を再生していくことにつながると考えています。
小学校から高校までは、野球に打ち込みました。高校3年生で部活が終わったあと、やる気がなくなってしまい、遊びほうけてその年は大学受験をしませんでした。1浪して11校の入試を受けたけれど1校も受からず、2浪目の時にようやく受かったのが、明治学院大学だったんです。
東大阪から東京に出てきて、初めて白金キャンパスに行った時は、みんながすごくおしゃれでキラキラして見えました。僕、リーゼントと革ジャンで行ったんですよ(笑)。まわりの人はラルフローレンの紺ブレなんか着ているし、日焼けしていてカッコいいし、「これが東京か!」と思いましたね。テニスサークルの勧誘を受けたかったのに、リーゼントと革ジャンの僕には、誰も声をかけてくれませんでした(笑)。
大学で大きな転機となったのが3年生の時。肥田日出生(ひだ ひでお)先生(明治学院大学名誉教授)のゼミに入ったことでした。マーケティングのゼミでしたが、肥田先生はクリスチャンで、宗教と認知心理学を組み合わせたような、独自のマーケティング理論を展開していました。コトラーの分厚い本から理論を学ぶような一般的なマーケティングとは一線を画すもので、どんどん引き込まれ、それまであまり熱心な学生とはいえなかった僕が、授業についていきたくて必死に勉強するようになりました。
特に印象的だったのは「イメージセット理論」。これは対象物に関して、その特徴など人が抱く意識を可能な限り挙げていき、何をもってその対象物だと認識するのかを突き詰めていく理論です。ビジネスにおいては、ある商品の基礎的な機能や副次的な機能といった特徴を発掘していくことに応用できるもので、今でも肥田先生から学んだこの思考法は、僕の中にしっかりと身についています。大学の教育理念“Do for Others(他者への貢献)”のもとに掲げられている5つの教育目標の中にある、「分析力と構想力を身につける」が実践できたことも含めて、肥田先生との出会いがなければ、みんな電力の起業もなかったと思いますね。
大学時代を振り返って良かったなと思うことは、数多くのアルバイトを経験し、多様な人と出会えたことです。カラオケパブの店員からテーマパークの着ぐるみ、家庭教師や皿洗いなど、本当にいろいろやりました。さまざまな場所に身を置くと、世の中にはいろんな人がいることがわかるんですよね。カラオケパブで働くお兄さんやお姉さんを知っている僕が、大手企業の役員や官僚の人と会っている。この振れ幅の広さが、結果的に多様性という当社の強みになっていると感じています。
もし今、SDGsや多様性に興味があるなら、まったく共通点がない人とぜひ知り合ってほしい。社会に出れば、どんどん同質のコミュニティに身を置くようになります。大学生のうちに、自分とは違う価値観を持つ人たちのコミュニティに飛び込んでみると、その世界にもルールがあることがわかります。いわゆる「インクルージョン」という考え方です。
異質なコミュニティに入ると、「なんか馴染めないな」「この話題についていけないな」という違和感があるじゃないですか。その違和感を大事にしてほしいんです。自分が何に違和感を覚えるのかを理解することが、自分のアイデンティティを明確にしていくことにもつながります。
僕が子どもの頃は、グループに入らずひとりで本を読んでいる人は周囲からは「変な人」だと思われていました。でも今は、あえてまわりに合わせる必要はないと思うんですよね。だから、はみ出すことを恐れないでほしい。まわりに馴染めなくてもいいじゃないですか。無理してみんなと同調する必要はないんですよ。僕みたいにリーゼントと革ジャンの人間でも友だちができましたし、恩師である肥田先生との出会いで人生が大きく変わりました。だから「自分らしさ」を大切に、学生生活を送ってほしいなと思います。