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生殖補助医療や新型出生前診断など医療技術の発達と、人とし生きることの間に横たわるものについて

20世紀後半より世界中で普及した生殖補助医療(ART)。日本でも体外受精によって生まれる子は年々増加しています。近年はそれに関連して不妊治療の保険適用や胎児の遺伝子を調べる新型出生前診断の実施、さらに第三者からの卵子や精子提供によって生まれた子どもが自分の出自を知る(提供者の情報を知る)権利を求める議論が活発化しています。柘植あづみ教授は大学院時代から当事者の声を聞きながら、こうした医療技術と生命、社会の関わりについて研究しています。研究成果を踏まえてメディア、医療界、行政などに向けて積極的に発言する柘植教授が、ARTなど生命と医療技術の諸課題に取り組むモチベーションと社会的意義、そして多様性を認める豊かな社会を構築していくために、今、学生たちに伝えておきたいことを語ります。

柘植 あづみ 副学長(社会学部教授) 埼玉大学大学院理学研究科生体制御専攻修士(博士前期)課程修了、お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程単位取得。博士(学術)。北海道医療大学基礎教育部教員を経て、明治学院大学社会学部社会学科教員に。前社会学部長。著書に『文化としての生殖技術:不妊治療にたずさわる医師の語り』(松籟社、第20回山川菊栄賞受賞)、『妊娠を考える:〈からだ〉をめぐるポリティクス』(NTT出版)、『生殖技術:不妊治療と再生医療は社会に何をもたらすか』(みすず書房)など。

医療技術はほんとうに幸せをもたらしたのか?

生殖補助医療(ART)とは、体外受精・胚移植をはじめとする、20世紀後半に進歩した新たな不妊治療・子どもを持つための技術のことです。まず英国で1978年に最初の体外受精・胚移植による出生児が報告されました。日本初の体外受精児が誕生したのはその5年後のことでした。

以来、ARTは世界中の不妊に悩む人々に救いの手を差し伸べてきました。2020年10月の日本産科婦人科学会による発表では、2018年に体外受精で生まれた子どもは過去最多の56,979人で、これは実に全出生児の約16人に1人に相当します。また、ART以前から第三者から提供された精子による人工授精(AID)によって多くの子どもがこの世に生まれてきました。どうしても子どもが欲しい夫婦にとってこうした医療技術は、まさにテクノロジーがもたらす恩恵だったわけです。

しかし一方で、ARTは技術そのものの安全性や生命倫理など、さまざまな社会的・文化的課題をはらんでいます。海外の先進国では、技術の安全性や倫理性を担保するため、法律による規制・管理を実施しているケースが多く認められます。ところが日本では、1990年代から厚生労働省(旧厚生省)の審議会などで繰り返し立法が検討されてきましたが、未だに実現に至っていません。現状は医療者の団体である日本産科婦人科学会が自主規制によって対応していますが、たとえば第三者による精子や卵子を提供、その結果生まれてくる子どもの出自を知る権利についてなど、専門家の間でも長く議論が続けられています。

大学時代に生物学を専攻していた私は、ARTが基盤とする基礎知識についても学んでいました。そのプロセスで生命を生み出すテクノロジーであるARTが個人の人生や社会・文化全般に及ぼす影響に関心を抱き、生命倫理学や医療人類学の研究に取り組むようになりました。そこからさらにジェンダー論へも視野を広げて、医療技術とジェンダー、出生前診断と生まれてくる子どもの権利、不妊治療と女性の人生、そのほか再生医療や病気になることと年をとること(老化、高齢化)などについてもアプローチ。主に当事者へのインタビュー調査を通して医療技術の発達が私たちの生き方にもたらす課題を見いだし、社会がいかに技術の方向づけをしていくべきかについて考えてきました。

医療技術の進展に人間の生命観が追いついていない?

私のインタビュー調査では社会科学の研究に欠かせない「質的データ分析」という手法を用いています。質的データ分析とは、人の言葉や行動のようなそのままでは数値化しにくい質的なデータを用いて研究課題にアプローチしていく方法です。インタビューといっても、単に話を聞くだけではありません。語られることに含まれている文化的・社会的要因、個人のパーソナリティや考え方、経験などを分析していくことで、全体を通してその人が人生の選択を行った際にどの要因が大きく関係しているか、そしてその中で社会的に課題となるものは何かについて探求していきます。たとえば「妊娠・出産に際して医療やテクノロジーの恩恵をどこまで受け入れようと考えるのか」「誰の意向を踏まえ、どのような経緯で出生前診断をする・しないを決めたのか」などについて考えます。

1980年代以降のARTは急速に進展しましたが、人間の意識、生命観はそれほど素早くは変化しません。社会は不妊を「恥」と捉えるスティグマからなかなか逃れられませんし、医師は不妊を「治す」ことを第一義に考えています。しかし、子どもが生まれないことは、果たして「恥ずかしいこと」「不幸なこと」なのでしょうか? まずはそこから問い直すべきなのですが、日本ではARTがはらんでいる数多くの課題・問題を、医師と少数の法律家が協力して規制を設ければ解決すると考えられていました。専門家に判断の多くをゆだねていたわけです。しかし現実には少なからぬARTの当事者が悩みを抱え、困難にぶつかっています。医療従事者の価値観による規制だけでは、当事者に寄り添った判断は難しいのです。そして、妊娠・出産は女性だけの問題ではありません。パートナーや夫である男性も当事者なのですが、その辺りの他人事のように捉えている男性が少なくないのが現状でしょう。そうなると女性は一人で問題を抱え込むことになります。

現在では医師や行政もそうした問題に気付くようになって、今後の生命科学技術の進展と社会の規制を考える枠組みが少しずつですができつつあります。私たちの研究もその一翼を担っており、これまで見過ごされがちだったマイノリティを含む当事者たちの声と向き合いながら、医療界や行政に向けた提言を続けていきます。

いま生きている社会の中にこそテーマがある

私のゼミでは、学生各自に自分自身の体験や興味に基づいたテーマを選んでもらっています。ゼミ生は私の授業や研究に関心を持って集まってくれたので、やはり医療や生命科学技術に関するテーマに取り組む学生が多いです。ゼミに参加した3年生には、「なぜ柘植ゼミを選んだか」について最初にプレゼンしてもらうのですが、そこで語られた個人の経験、自分や家族の健康の経験が研究テーマに結びつくことが多いです。

ゼミの研究はまず自分でプレ仮説を設定し、関連する文献を読んだ上でインタビュー調査を進め、ゼミの仲間たちとのディスカッションを経て、論文にまとめ上げていきます。

これまでの卒論テーマでは、生殖技術や出生前診断のほかに、尊厳死、発達障害、セクシュアリティ、医療と格差社会など実に多様な研究プロジェクトに取り組んでいます。その中でも私の印象に残っているのは「年をとるとはどんなことか」というテーマで、地方の中山間地の住民へインタビュー調査に行ったゼミです。また都内で暮らす外国人へのインタビューによる「日本在住の外国人が見る日本の医療」という調査をしたゼミもありました。それぞれ素晴らしい報告書にまとまりました。明学の学生は真面目で観察眼もあり、人とすぐに親しくなれる人が多いので、インタビュー調査ではほんとうにいい話を聞いてきます。ただやはりまだ社会経験、考察する経験が少ないために「分析」には教えたり、アドバイスが必要です。そして、「どうしてそうなるのか」と一緒に考えています。

いま授業で、人類がどのように感染症と向き合ってきたかの歴史について話しています。学生生活にも大きな影響を及ぼしている感染症について学ぶことは、医療や社会のあり方など、生きる上で必要な知識や思想など多くの学ぶべきテーマが含まれています。自分たちが直面し、リアルタイムで進行する社会問題なので、学生たちの関心もきわめて高く、熱心に授業に取り組んでくれています。

国や自治体の対処や社会の格差、ジェンダーなど、一連のコロナ報道の中にも学生たちが学ぶ=考える素材がたくさんあります。かつては病気にかかることは当然で不可避のことだと考えられていました。ところが医療技術の発展により、病気の予防や治療が可能となると、また、医療に過度に期待し、依存する姿勢もあります。医療は大事ですが、医療の限界についても学んでいます。また、病気になった人の存在を否定的にみなしたり、感染症が差別の引き金になることは歴史から学び、現実社会でも体験しています。私は病人あるいは障害を抱えた人を否定的に捉える社会になることは、自分たちが生きづらい社会にすることだと考えています。そのためのキーワードは「多様性」を認めること。これからの社会を創っていく学生たちに、生産性だけが人間の価値を推し量る尺度ではないこと、病気や障害の存在がむしろ社会・文化の中で人が生きることの豊かさを示してくれることをしっかりと伝えていきたいと思っています。