湯口 晃生2009年 文学部 英文学科卒
1985年生まれ。明治学院大学在学中から都内の映像制作会社に勤務し、ミュージックビデオやコマーシャルなどの制作に携わる。2010年の渡欧後、2015年、エストニアのタリン大学で映像人類学の修士号を取得。在学中に世界最古の映画大学である全ロシア映画大学の夏季制作授業に日本人監督として参加。2016年、リトアニアの日本大使館で杉原千畝氏関連の広報文化や政務の調査研究業務に従事。2022年から、JPO(Junior Professional Officer)派遣制度を通じ、世界気象機関(WMO)で勤務。
遠回りしてたどり着いた国際機関での仕事
各国政府の費用負担で国際機関が若手人材を受け入れる「JPO(Junior Professional Officer)派遣制度」の試験に合格し、2022年から、私個人としては欧州6カ国目の拠点となるスイスに移り、スイスのジュネーヴに本部がある世界気象機関(WMO)で働いています。WMOは、気象・水文(※)分野の観測・予測、データ交換等に関する国際協力の推進や科学技術活動の支援を行う国際機関です。WMO事務局は約300名の職員で構成され、WMO加盟国(187カ国6領域)が気象・水文に関するデータを滞りなく伝達・共有するための仕組みづくりの調整と促進を担っています。私が勤務する事務局長官房室戦略的コミュニケーションユニットでは、WMOの活動成果の対外発信、ブランド戦略、気象、気候、水文分野に関する国際社会での議論・理解促進を目標に活動しています。国連のコミュニケーション業務というと国連広報官のような話し言葉や書き言葉を使った発信業務を想像されるかもしれませんが、私の業務は映像言語やイメージの力で組織の活動や成果を可視化し発信すること、といえます。
また、先述のソーシャルメディアと映像の関係性の文脈から、長期的には若年層を対象とするメディアリテラシー教育にも携わっていきたいです。この思いから、2023年の春より、チューリッヒ芸術大学下にあるSchool of Commonsというアートコレクティブのフェローにもなりました。今はソーシャルメディアが当たり前のように使われていますが、それらはプラスに働くこともあれば、劇薬にもなり得るものです。写真や映像などの古典に照らして考えると、例えば、60秒の自作自演のソーシャルメディア映像は、19世紀末に発明された60秒のシネマトグラフの映像から振り返ることができる要素があるのではないでしょうか。シネマトグラフを発明したリュミエール兄弟が生誕したフランス・リヨンの生家を訪ねて、この思いがより一層強くなりました。
ロシア留学から戻り、白金キャンパスに移ってからは、大学の授業が楽しくなりました。日中は1限から7限まで授業、昼休みと移動時間にフィルムでの写真撮影、夜はダブルスクールを始めた早稲田大学芸術学校空間映像学科の写真・映像コースへ、空いた時間はタランティーノ監督もお忍びで訪れた恵比寿の隠れ家的レンタルビデオ屋で働いて、その他の時間はひたすら映画を見る毎日。水を得た魚のようにいきいきと大学内外の生活を送れるようになりました。大学の授業も幅広い教養科目から専門的な内容に変わって、よりのめり込むようになりました。山越邦夫先生のアメリカ詩の授業では詩の勉強に加え、詩を自作したり日本語に翻訳したりする課題がありました。私はA. R. Ammonsの『Reflective』という詩を日本語訳しその映像も制作しました。自分の関心とマッチするような授業が上級生になってから増えたように思います。
明学の教育理念“Do For Others”は、在学中からある程度は認識していました。5つの教育目標を今、改めて見て、明学で教えてもらったと思うのは「他者を理解する力」でしょうか。やはり植木先生やロシア語の芦原先生に出会ったことがきっかけで様々な経験をし、徐々に身につけた力だと思っています。お二方は過保護すぎず、ちょうどいい距離感で私を見守ってくれました。今振り返っても、とてもありがいことだったと感じています。