これまで長い間、マクロ経済学では、付加価値に占める人件費の割合を示す「労働分配率」を一定のものとして数理モデルを作り、さまざまな分析を行ってきました。ところが近年、その流れに大きな変化が起きています。フランスの経済学者トマ・ピケティが2013年、『21世紀の資本』の中で、労働分配率は一定ではなく、低下していることを示したのです。この本は世界的大ベストセラーになり、それ以降、マクロ経済学の研究では労働分配率の低下を説明するモデル分析が行われるようになりました。私がチャレンジしているのもその領域の研究であり、直近では、熟練労働・未熟練労働の賃金格差の拡大と労働分配率の低下の同時進行を説明するモデルの構築に取り組みました
熟練労働・未熟練労働の賃金格差の拡大と労働分配率の低下の同時進行は、1980年以降、実際に起きている現象です。熟練労働・未熟練労働の賃金格差は、1975年ごろまで縮小傾向にあり、その後拡大に転じています。グラフにするとちょうど1975年を谷としてU字型を描くイメージです。
1970年代前半、戦後のベビーブーム世代が大学を卒業し、一気に労働市場に参入してきました。熟練労働を担う大卒労働者が大量に市場に供給されたことで、熟練労働の賃金は下がり、未熟練労働を担う高卒労働者との賃金格差が縮小しました。これは従来の経済理論で容易に説明することができる現象です。問題は、1980年代以降、熟練労働と未熟練労働の賃金格差が縮小から拡大に転じ、なおかつ熟練労働の供給も一貫して増え続けているという点です。この時起きている労働分配率の低下と賃金格差拡大の同時進行は、これまでのモデルでは説明が難しく、両方を統合した独自のモデルをつくることを目指してタスク(仕事)に基づくモデルを検討しました。
賃金格差が増加に転じた1980年代は、コンピューターが発達し、産業用ロボットが急激に増えた時代と重なります。コンピューター技術の向上は、高度なタスクを担う熟練労働に有利な技能偏向的技術変化です。構築したモデルでは、高度タスクの上昇が熟練労働の需要を増加させ、未熟練労働の賃金を低下させること、そのために熟練労働・未熟練労働の賃金格差は拡大し、労働分配率が低下することを説明しています。
この研究を応用し、現在は指導する大学院生と別のモデルの検討にも取り組んでいます。こちらは、熟練労働と未熟練労働の間に「機械」を加えた3タイプでのモデルを検討するものです。この場合「未熟練労働が機械に代替される転換点」「機械が熟練労働に代替される転換点」の2つの閾値が生じるため、より複雑なモデルになると想定されます。
労働と資本の代替については、最近さまざまな場面で「AIの進歩によって人の仕事が奪われる」と話題になっています。「機械が人の仕事を奪う」という問題は、産業革命のラッダイト運動以来、さまざまな場面で議論されてきました。実際、技術の進歩によって失われた仕事も多くありますが、同時にたくさんの新たな仕事が技術革新によって生み出されています。そうした新しい仕事は、必要とされるが故に賃金が高く、不必要になった仕事からの労働移動が起きるため、機械による労働の代替はそれほど悲観することではないと経済学では考えられています。
AIの発達は、生産性や品質を向上させ、新たなタスクの創出を助けるため、労働分配率を上昇させます。一方で、高いスキルが必要ではない仕事がAIによって自動化されることにより、労働分配率を低下させます。新たなタスクの創出のスピードと自動化のスピードが等しければ、労働分配率は不変となるでしょう。その場合、所得分配は不変を保ったまま、人間は高度な機械を用いて人間にしかできない高度なタスクに従事することができ、労働生産性は増加します。企業も技術進歩の恩恵を受け、所得分配を維持したまま経済成長することができるでしょう。しかし、科学技術の発達速度に新しいタスクの創出が追いつくことができないと、労働分配率は低下していきます。技術ばかりが進歩し、その技術を使いこなせる人が少なければ、格差は拡大します。一方、教育は新技術を使いこなせる人を増加させることができ、格差を縮小させる要因になります。こうした関係性は「教育と技術のいたちごっこ」と呼ばれ、AIの発展に合わせて教育が重要であることを再認識させられます。
また、最近「AIの発展が爆発的な経済成長をもたらす」という言説が見られますが、私はその考え方には懐疑的です。AIがどれほど発展しても、AIがGDPのほとんどを稼ぎ出し、人間の存在が無視できるほど小さくなるようなことは起こらないと思います。なぜなら、人間は消費や投資をしますが、AIは消費も投資もしないからです。AIが発展して生産性が向上し、総供給が爆発的に増えても、消費や投資といった総需要が十分になければ、財・サービスは売れ残り、財・サービス価格が低下しない限り慢性的な不況が続くことになります。そうなれば、総所得は増えていきません。AIは人間に消費や投資を促すお手伝い的な役割は果たすかもしれませんが、AI自身は消費需要や投資需要を実行してはくれず、総需要が不足すれば経済成長の鈍化や低下が起こります。AIが電気くらいしか消費しない以上、いくらAIが発展したとしても、爆発的な経済成長を起こすことはないだろうと考えています。
大学院に進学するということは、研究の道の入口に立つということです。研究では、もちろん経済学の基礎学力も必要ですが、その上でアイデアや創造性が求められます。ゼロから1を生み出すのはとても難しいものですが、その助けになるのが対話です。最初はブレーンストーミングのように何でも思いつくままに話してみて、その中から重要な要素を残し、組み合わせる。指導している大学院生とは、そうした対話を繰り返して、アイデアを出す手助けをしています。
対話をして、常に考え、アイデアをひらめき、「この研究をやってみよう!」と決まると、寝食を忘れて計算に没頭する時期がやってきます。研究の何が面白いかといえば、私の場合、愛用のリーガルパッドを何枚も使ってひたすら計算し、新しい結果を出すまでのこの時期が一番面白い。その後で結果を論文にまとめるのは苦しいんですけどね(笑)。 研究を始めたばかりの時期は、自分では自信作だと思って書き上げた論文でも、ジャーナルに投稿すると大半がリジェクト(不採用)されます。もちろん非常にがっかりしますが、大学院生はそういう苦労もしなければなりません。研究においては、リジェクトされてももう一度考え直し、粘り強くやり抜く力が大切です。私が大学院で指導する学生には、そうした考え抜く能力を身に付けて、自力で論文を執筆できる自立した研究者になってほしいと伝えています。
ケインズは著書『人物評伝』の中で、経済学者の資質について「ある程度まで、数学者で、歴史家で、政治家で、哲学者でなければならない」「記号も分かるし、ことばも話さなければならない」と書いています。つまり、経済学者には多様な能力が必要だ、ということです。複雑な経済現象を数理モデルで表していくマクロ経済学の研究において、数学の知識は不可欠ですが、数学はあくまでも研究の手段に過ぎません。「数学が苦手だから」と経済学を敬遠する学生もいますが、現実の社会現象や経済問題の分析に興味を持っていれば、数学は後から勉強しても間に合います。研究でオリジナルな結果を出せた時の快感は、ほかの仕事では味わえない特別なものです。大学院での研究で社会や経済への興味関心を掘り下げ、その快感を味わってみてほしいと思っています。