明治学院大学
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2026年度新入生向け 式辞・祝辞

今尾 真  Makoto Imao

学長

今尾 真 学長


文学部・経済学部・社会学部・国際学部・心理学部・情報数理学部ならびに大学院にご入学された皆様へ

明治学院大学 学長の今尾真です。
新入生の皆さん、明治学院大学並びに大学院へのご入学、おめでとうございます。
また、保証人やご家族の皆さまには、ご子息、ご息女の本学へのご入学を心よりお慶び申しあげます。
明治学院大学を代表して、一言、お祝いの言葉を述べさせていただきます。

本学では、建学の精神である「キリスト教に基づく人格教育」と「学問の自由」を基礎に、学院創設者ヘボン博士が生涯実践した「“Do for Others(他者への貢献)”」の教育理念に則り、160年を超える歴史の中で、教育・研究活動を積み重ねてきました。この教育理念のもと、本学が目指す姿を表す言葉として、「真理を探究し、世界に貢献する」の標語を掲げています。教育と研究とで真理を探究し続けた成果は、海を越えた地球規模の世界から、身の回りの世界まで幅広く浸透し、明治学院大学は「世界」に貢献し、そうした大学であり続けるという、強い思いが、ここに込められています。

さて、他者に貢献するためには、まず自分を理解することが大切です。その上で、他者を理解することが不可欠です。他者に優しくする、他者の気持ちを思いやることができなければなりません。
それでは、他者を思いやるには何が必要か、それは「教養」です。「教養とは他者=他人の心が分かること」なのです(養老孟司『まともな人』〔中公新書、2003年〕)。つまり、“Do for Others(他者への貢献)”の教育理念とは、「他者の心が分かる教養」を身につけ、他者のために行動するということです。これなくして、学問を学んでも何の意味もありません。「他者の心が分かる教養」を基礎として、いろいろ専門的学問を修め、社会に、そして世界に貢献すること、これこそが明治学院大学の教育であり、「真の教養」を身につけるということです。

そこで、皆さんが大学というところで「真の教養」を学ぶに際し、肝に銘じておくべきことをお話しします。
まず、大学の第一の務めは、学生に英知を教えることだと思います。大学とは、単なる知識や技術、ましてや仕事を教える場ではなく、「人格を育む場」であるということを認識してください。それゆえ、何のために学ぶのかというと、皆さん自身が自己の「人格を総合的に成長させるため」に、“学ぶ”のです。そのための教育を施すのが大学であるということです(ダニエル・スミス著、多賀谷正子訳『ウィンストン・チャーチル「英国を救った男」の人生と行動』〔原書房、2025年〕)。
そして、皆さんがいろいろな学問を学ぶとき、必ず壁にぶつかったり、つまづいたりすることがあるでしょう。分からない、難しい、自分には才能や能力がないと嘆くかもしれません。そんなとき、次の言葉を思い起こすようにしてください。
「素質(能力・才能)は土壌であり、教育は種子であり、そして勤勉は耕作である」。
「医学の父」と呼ばれた古代ギリシャの医学者、ヒポクラテスの言葉です。
「素質は土であり、教育は種であり、そして勤勉は耕すことである」。
農業に例えての教えですが、人格形成において「素質」は必ずしも絶対的なものではなく、われわれ教師による「教育」も、学生の「勤勉」もひとしく不可欠の要件、三位一体をなすものと言っているわけです。
どんなに肥沃な土壌でも、種子が悪ければ、あるいは耕作が不十分であれば、作物は育ちません
(以上は、廣川洋一『ギリシア人の教育―教養とはなにか―』〔岩波新書、1990年〕)。
したがって、われわれ教師も優れた教育を行うという使命を負いますが、皆さんも勤勉にあるべきだということを肝に銘じてください。

最後に、新入生の皆さんには、それぞれの専門の学びに加えて、文学、音楽、芸術など、何でもよいから、「美しいもの」に数多く触れることをお勧めいたします。ソクラテスは、「あたかもそよ風が健全な土地から健康を運んでくるように、美しい作品に接することによって、調和的な人となるから」(廣川・前掲書)と述べております。これも、「人格を総合的に成長させるため」には、不可欠なものと思います。

大学の4年間または大学院の2・3年間は長いようで短い時間です。この間に将来を見据え、「自分をどう磨き、光らせるか」は皆さん次第です。そのとき「人格を総合的に成長させる」場が大学であるということを確認し、「勤勉」に学問や物事に打ち込む姿勢と覚悟をもって、大学・大学院での生活を送って下さい。
あらゆる可能性が皆さんの前に広がっております。あらためて、ご入学、おめでとう。

法学部ならびに大学院にご入学された皆様へ

明治学院大学 学長の今尾真です。
新入生の皆さん、明治学院大学並びに大学院へのご入学、おめでとうございます。
また、保証人やご家族の皆さまには、ご子息、ご息女の本学へのご入学を心よりお慶び申しあげます。
明治学院大学を代表して、一言、お祝いの言葉を述べさせていただきます。

本学では、建学の精神である「キリスト教に基づく人格教育」と「学問の自由」を基礎に、学院創設者ヘボン博士が生涯実践した「“Do for Others(他者への貢献)”」の教育理念に則り、160年を超える歴史の中で、教育・研究活動を積み重ねてきました。この教育理念のもと、本学が目指す姿を表す言葉として、「真理を探究し、世界に貢献する」の標語を掲げています。教育と研究とで真理を探究し続けた成果は、海を越えた地球規模の世界から、身の回りの世界まで幅広く浸透し、明治学院大学は「世界」に貢献し、そうした大学であり続けるという、強い思いが、ここに込められています。

さて、他者に貢献するためには、まず自分を理解することが大切です。その上で、他者を理解することが不可欠です。他者に優しくする、他者の気持ちを思いやることができなければなりません。
それでは、他者を思いやるには何が必要か、それは「教養」です。「教養とは他者=他人の心が分かること」なのです(養老孟司『まともな人』〔中公新書、2003年〕)。つまり、“Do for Others(他者への貢献)”の教育理念とは、「他者の心が分かる教養」を身につけ、他者のために行動するということです。これなくして、法学や政治学を学んでも何の意味もありません。「他者の心が分かる教養」を基礎として、いろいろ専門的学問を修め、社会に、そして世界に貢献すること、これこそが明治学院大学の教育であり、「真の教養」を身につけるということです。

そこで、皆さんが大学というところで「真の教養」を学ぶに際し、肝に銘じておくべきことをお話しします。
まず、大学の第一の務めは、学生に英知を教えることだと思います。大学とは、単なる知識や技術、ましてや仕事を教える場ではなく、「人格を育む場」であるということを認識してください。
それゆえ、何のために学ぶのかというと、皆さん自身が自己の「人格を総合的に成長させるため」に、“学ぶ”のです。そのための教育を施すのが大学であるということです(ダニエル・スミス著、多賀谷正子訳『ウィンストン・チャーチル「英国を救った男」の人生と行動』〔原書房、2025年〕)。
そして、皆さんがいろいろな学問を学ぶとき、必ず壁にぶつかったり、つまづいたりすることがあるでしょう。分からない、難しい、自分には才能や能力がないと嘆くかもしれません。そんなとき、次の言葉を思い起こすようにしてください。
「素質(能力・才能)は土壌であり、教育は種子であり、そして勤勉は耕作である」。
「医学の父」と呼ばれた古代ギリシャの医学者、ヒポクラテスの言葉です。
「素質は土であり、教育は種であり、そして勤勉は耕すことである」。
農業に例えての教えですが、人格形成において「素質」は必ずしも絶対的なものではなく、われわれ教師による「教育」も、学生の「勤勉」もひとしく不可欠の要件、三位一体をなすものと言っているわけです。
どんなに肥沃な土壌でも、種子が悪ければ、あるいは耕作が不十分であれば、作物は育ちません
(以上は、廣川洋一『ギリシア人の教育―教養とはなにか―』〔岩波新書、1990年〕)。
したがって、われわれ教師も優れた教育を行うという使命を負いますが、皆さんも勤勉にあるべきだということを肝に銘じてください。

最後に、毎年法学部の入学式で新入生に、次の言葉を贈っております。
アメリカ連邦最高裁判所判事で、社会学的法律学者としても著名なカドーゾという学者がおりました。
彼が名著、『法の成長』の冒頭で、次のような言葉を述べております。
“法は安定していなければならない”、しかし、“法は常に変化しなければならない”、安定と変化のバランスをいかにとるか、これが法および法律家に課せられた永遠の課題であると(B.N.カドーゾ著、守屋善輝訳『法の成長』〔中央大学出版会、1965年〕)。

この言葉は、わたくし非常に好きな言葉で、バランス感覚の大切さを説くこの言葉は、法および法律家にとっての指針であるばかりでなく、まさにこれから法学や政治学を学びはじめる学生にとっても、こうした視点をもって学業に励むことは非常に重要だと思います。 バランス感覚を養う、すなわち、調和的な人となることも、「人格を総合的に成長させるため」には、不可欠なものと思います。

大学の4年間または大学院の2・3年間は長いようで短い時間です。この間に将来を見据え、「自分をどう磨き、光らせるか」は皆さん次第です。そのとき「人格を総合的に成長させる」場が大学であるということを確認し、「勤勉」に学問や物事に打ち込む姿勢と覚悟をもって、大学・大学院での生活を送って下さい。
あらゆる可能性が皆さんの前に広がっております。あらためて、ご入学、おめでとう。




永野 茂洋  Shigehiro Nagano

学院長

永野 茂洋 学院長


新入生の皆さん、明治学院大学、明治学院大学大学院へのご入学ご進学おめでとうございます。また、ご家族、保証人、関係者の皆さま、学校法人明治学院を代表しまして、お子様方のご入学ご進学を心よりお祝い申し上げます。

明治学院は、163年前「キリスト教に基づく人格教育」を行う教育機関として、ヘボン博士はじめ多くの宣教師たちの協力の下に横浜でスタートした、日本では最も長い歴史を誇る教育機関です。現在では中学校と2つの高等学校、大学・大学院を擁していますが、「キリスト教に基づく人格教育」という本学の土台は、現在の大学教育においても今日まで途切れることなく受け継がれ、本学の豊かな伝統を作ってきました。

その「キリスト教に基づく」というのは、どのようなことを言うのか。今日はこのことに関して二つのことを皆さんに申しあげたいと思います。

一つは、人間は、神に息を吹き入れられて生きる者となったという聖書が教える人間観に立つということです。人は誰でも人間同士の「横の関係」だけでは無く、見えない神との深いところでの「縦の関係」を持っている、そういう関係存在であるということです。そして、それ故に人は何者も奪うことのできない尊厳を持ち、大事にされなければならないという人間観です。

そして、もう一つは、人は誰もが神から等しく愛されているが故に、言葉や、国籍や、人種、文化、宗教の違いを超えて、隣人と共に生きることができるような平和な世界を目指して生きて行く、歴史を作って行くという歴史観、社会観に立つということです。

明治学院大学に入学された皆さんには、この二つの価値観と自分とがどのように切り結んでゆくのか、そのことにこれからの4年間をかけて是非取り組み、それを自分のものに、自分の言葉にして行ってほしいと願っています。そして、そのための言わば方法論として、何よりも「対話的な思考」の習慣を身につけるということに意を注いで行っていいただきたいと願っています。

現代は、生活の様々な局面で短期的な思考が追い求められている時代です。「タイパ」という言葉に象徴されるように、できるだけ時間を飛ばし、節約し、短時間で物事を理解し、判断したい。そういう欲求に人々が駆り立てられている、そういう時代です。背景には近代資本主義の行き詰まりがあります。それを突破して、一挙にこの現実から自分が理想とする世界に入りたいという欲求です。これは人よりも早く自己完結したいという欲望でもあります。ここから、現在BIGTECの一部の人たちが主張する科学技術情報分野における「加速主義」なども出て来ています。

しかし、先ほど言ったような価値を担う人間自身、技術を担う人間自身のなかに「善き人間性」といったものが形作られて行くためには、数十年という時間と、その間自己完結しそうな自分を開いて、くりかえし対話し、長いスパンで文明の行く末を見極めて行くということがどうしても必要です。他人との対話を切り上げ、節約しようとする姿勢からは「善き人間性」は生まれません。より正しい物事のあり方、世界のあり方をいろいろな人と対話しつつ、納得の行くまで試行錯誤を繰り返しながら、じっくりと考える習慣があるところではじめて「善き人間性」もまた養われて行くものだからです。対話は自己完結を開き、長期思考を促します。

以前、本学の教授であられた勝俣誠先生が書かれた「大学と戦争」という文章を大変共感しながらお読みしました。先生は、大学での学びとは、たとえば自分と自分の生きる時代を読み解き、判断する思考力を身につけることであるけれども、そのためには「知って、考えて、疑って、納得して、さらに思考を深めて行く」その作業の繰り返しがどれほど重要なことか、ということを書いておられました。そして、ハンナ・アーレントに言及された。

ハンナ・アーレントは、若き日に、アウシュビッツの実行計画を描き、実行したアイヒマンの裁判を傍聴して、あのような途轍もない悪を行ったのだから、アイヒマンは悪魔のような人間に違いないと多くの人が彼のことを決めつけ、それが裁判で証明されることを期待したけれども、そうではなく、アイヒマンは極めて凡庸な人間だった。その彼が世界最大の悪を行ったのは、ただ彼が人間の大切な資質を放棄した人間だったからだ。他人に従うだけで、疑うことも、自分で考えることもせず、自分との対話も拒否した人間だったからだ、という重要な報告を世界に向けて発信しました。アイヒマン自身も、アイヒマンを悪魔のような人間としたがった人々も、同じく思考を停止させている人間なのだと。それでは現代の悪や暴力に対抗できないということをアーレントは見抜いたのだと思います。そして、その歯止めを大学に期待したのです。

時間をかけて自分で考え抜く習慣を放棄したとき、戦争のような悲惨な道への道行きを、大学における知は止めることができなくなるのではないか、というのが勝俣先生の警告でした。

いま世界は、大国が本来守るべき国際的なルールを自ら破り、弱小国を脅し攻撃し、「力が正義である」と発言して憚らない、そういう野蛮な時代に入ろうとしています。しかし、軍事力であれ暴力であれ、それらは言葉を持たないが故に正義などではあり得ないと、アーレントならば言ったに違いありません。力による正義は、それに対抗する別の力と破壊を生み出すだけです。本当の正義は、お互いの異なる言葉の間に合意を見出す根気の要る作業によってはじめて、人類共通の財産になって行くものです。

勝俣先生は、夏のオープンキャンパスで、高校生から「大学とはどういうところですか」と聞かれて、あるゼミ生が「考えるところです」と答えたというエピソードを紹介されていました。この学生の答えが、明治学院大学のよき伝統です。明治学院大学は「考えるところ」です。また、「考え続けるところ」でありたい。そのよき伝統を皆さんが継承し、自分のものとして、これからの4年間の学生生活を自由で、豊かな対話のための時間、そして、考えるための場所として過ごして行っていただきたいと思います。素晴らしい先生方が皆さんの期待に応えてくださるにちがいありません。最後に、皆さんの健康が神様によって支えられますようにとお祈りして、わたしからの祝辞とさせていただきます。明治学院大学へのご入学、まことにおめでとうございます。