明治学院大学
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2025年度 卒業式・修了式 式辞・祝辞

今尾 真  Makoto Imao

学長

今尾 真 学長


経済学部・社会学部ならびに大学院をご卒業・ご修了された皆様へ


学長の今尾真です。卒業生の皆さん、明治学院大学大学院ならびに学部の修了・卒業、誠におめでとうございます。また、保証人の皆さまにおかれましては、ご子息、ご息女の本学のご卒業を、心よりお慶び申しあげます。

さて、皆さんに対し、大学を代表して一言お祝いの言葉を述べさせていただきます。
皆さんは、明治学院大学の建学の精神である「キリスト教に基づく人格教育」と学問の自由を基礎に、創設者ヘボン博士が生涯実践した「Do for Others(他者への貢献)」の教育理念に則り、自由清新な学風が漂う本学で、この理念の具体化である「自由・平等・正義と社会貢献を尊ぶ精神」を、経済学・経営学・社会学・社会福祉学などの学問を通して学びました。すなわち、「複雑な経済事象を表面的ではなく、複眼的な分析視点で観察し、その本質を理解できる力」や「人としての生活と社会の構造の関係を学び、その学びの意義を深める豊かな知とそれを応用して社会で実践できる力」を身につけ、「気概」と「志」をもって、社会に貢献できる能力を修得したわけです。世の中が変わっても、このような能力を有した人材は時代を超えて求められます。

ところで、皆さんが在学した4年間を振り返りますと、コロナ禍が収束しつつあったとはいえ、個人の行動や生活には制約が課され、入学式もチャペルとパレットゾーンに分かれての分散開催など、その出発から皆さんの期待どおりの大学生活を始められなかったかもしれません。さらに、世界に目を転じると、独裁的な指導者が増え、その言動や政策がマスコミ報道を賑わせております。特に、ウクライナの戦争も4年目に入り、またイスラエル・シリア紛争、さらには、アメリカ・イスラエルとイランの戦争などが勃発し、多数の犠牲者がでております。また、経済活動の停滞は、物価高騰や多くの失業・経済的困窮を生み、世の中が殺伐として、格差も広がっております。

皆さんは、こうした状況の中で、学生生活を送り、本日、大学を卒業し、社会に出るわけです。なかなか周りの人のことを思いやる余裕がなかったかもしれません。しかし、そうした中で、本学が掲げる「Do for Others」の教育理念は輝きを増しています。まず、自分を理解すること、そして他者を理解することを基盤に、学問、課外活動を通じて、教職員や学生同士の交わりの中で、「他者への貢献」を可能にする力が、皆さんには自ずと身に付いております。明学出身としての誇りをもって、社会で他者への貢献を実践してください。

皆さんの卒業の餞として、私が拠り所している言葉をお贈りします。
皆さんは、これから社会に出て、大学で学んだ知を実践するとき、必ず壁や障害にぶつかるはずです。特に、自分が正しいと信じたことが受け入れられない、なかなか前に進むことができない、そんなとき、次の一節を思い起こしてください。

「正しくあろうとすること、そして、自分が正しいと信じることをしたり、言ったりするのを恐れないこと。」
こうも言えるでしょう。「行動することを決して恐れない。唯一恐れるのは、行動しないことだ。」
これは、第二次世界大戦において、ナチスドイツのヒトラーと対峙し、イギリスを勝利に導いた、その時の首相、ウィンストン・チャーチルの言葉です。

私も、壁にぶつかったとき、“行動の人”、チャーチルのこの言葉を思い起こし、自らを鼓舞します。
実際、日々の生活を少しつき放した視点から大きく見たとき、「行動しない」ことの方が、何か、“より大きなものを失う”ことにつながる、ということを説く言葉であると思います(ウィンストン・チャーチル=中西輝政監訳『チャーチル 名言録』〔扶桑社、2016年〕から引用・参照)。

皆さんが、困難に直面したとき、「行動することを決して恐れるな」ということを思い出し、これを乗り越えて、社会で活躍することを期待いたします。卒業・修了、おめでとうございます。

法学部ならびに大学院をご卒業・ご修了された皆様へ


学長の今尾真です。卒業生の皆さん、明治学院大学法学部の卒業、誠におめでとうございます。また、保証人の皆樣におかれましては、ご子息、ご息女の本学のご卒業を、心よりお慶び申しあげます。

さて、皆さんに対し、大学を代表して一言お祝いの言葉を述べさせていただきます。
皆さんは、明治学院大学の建学の精神である「キリスト教に基づく人格教育」と学問の自由を基礎に、創設者ヘボン博士が生涯実践した「Do for Others(他者への貢献)」の教育理念に則り、自由清新な学風が漂う本学で、この理念の具体化である「自由・平等・正義と社会貢献を尊ぶ精神」を、法学・政治学などの学問を通して学びました。すなわち、社会のルールや政治の仕組みについて学び、それらを使いこなす知識と思考力・判断力を身につけ、「気概」と「志」をもって、社会に貢献できる能力を修得したわけです。世の中が変わっても、このような能力を有した人材は時代を超えて求められます。

ところで、皆さんが在学した4年間を振り返りますと、コロナ禍が収束しつつあったとはいえ、個人の行動や生活には制約が課され、入学式もチャペルとパレットゾーンに分かれての分散開催など、その出発から皆さんの期待どおりの大学生活を始められなかったかもしれません。さらに、世界に目を転じると、独裁的な指導者が増え、その言動や政策がマスコミ報道を賑わせております。特に、ウクライナの戦争も4年目に入り、またイスラエル・シリア紛争、さらには、アメリカ・イスラエルとイランの戦争などが勃発し、多数の犠牲者がでております。また、経済活動の停滞は、物価高騰や多くの失業・経済的困窮を生み、世の中が殺伐として、格差も広がっております。

皆さんは、こうした状況の中で、学生生活を送り、本日、大学を卒業し、社会に出るわけです。なかなか周りの人のことを思いやる余裕がなかったかもしれません。しかし、そうした中で、本学が掲げる「Do for Others」の教育理念は輝きを増しています。まず、自分を理解すること、そして他者を理解することを基盤に、学問、課外活動を通じて、教職員や学生同士の交わりの中で、「他者への貢献」を可能にする力が、皆さんには自ずと身に付いております。明学出身としての誇りをもって、社会で他者への貢献を実践してください。

最後に、皆さんの卒業の餞として、私が拠り所としている言葉をお伝えして、参考にしていただければ幸いです。

皆さんは、これから社会に出て色々な仕事をやることになると思います。そうした中で、天命とでもいうべき仕事や使命に出会うと思います。その時、これをやり遂げること、その覚悟とそこへの集中が大切だ、ということです。

偉大な民法学者の言葉を借りれば、「一を守り、二なし、三なし」、すなわち、「守一、無二、無三」ということになります。これは、彼の有名な我妻栄先生の言葉です。「日本の民法体系を、国民の遺産として誰にでも理解・納得できるように統合・整理することを、自分の第一の任務とし、それ以外のことには脇目も振らず集中する」、という先生の覚悟がここに現れていると思います。さすが民法中興の祖、我妻先生の言葉だけに、重みがあります。

しかし、実際、一つのことを天命として、やり続けることは、なかなか難しいかもしれませんが、我妻先生のような覚悟をもって、一つ一つの仕事をやり遂げよう、と少し拡大解釈することは可能でしょう。すなわち、「一を守り、二なし、三なし」の覚悟をもって、物事に取り組むということが大切です。

わたしの最後の民法講義、これで終わります。

皆さんの活躍を大いに期待しております。卒業・修了、誠におめでとうございます。終わります。

心理学部・文学部・国際学部ならびに大学院をご卒業・ご修了された皆様へ


学長の今尾真です。卒業生の皆さん、明治学院大学大学院ならびに学部の修了・卒業、誠におめでとうございます。また、保証人の皆さまにおかれましては、ご子息、ご息女の本学の修了・ご卒業を、心よりお慶び申しあげます。

さて、皆さんに対し、大学を代表して一言お祝いの言葉を述べさせていただきます。

皆さんは、明治学院大学の建学の精神である「キリスト教に基づく人格教育」と学問の自由を基礎に、創設者ヘボン先生が生涯実践した「Do for Others(他者への貢献)」の教育理念に則り、自由清新な学風が漂う本学で、この理念の具体化である「自由・平等・正義と社会貢献を尊ぶ精神」を、心理学・教育学・障害科学、文学・芸術学および国際学などの学問を通して学びました。すなわち、「心理学の基礎を習得し、科学的方法論とその実践法」、または「新たな文化を構想する知的分析力や創造力をもって問題発見・その伝達手段」、もしくは「世界の文化や社会の多様性を理解し、世界平和と人々の共生・協働を促すグローバルマインド」について学び、それらを使いこなす知識と思考力・判断力を身につけ、「気概」と「志」をもって、社会に貢献できる能力を修得したわけです。世の中が変わっても、このような能力を有した人材は時代を超えて求められます。

ところで、皆さんが在学した4年間を振り返りますと、コロナ禍が収束しつつあったとはいえ、個人の行動や生活には制約が課され、入学式もチャペルとパレットゾーンに分かれての分散開催、あるいはチャペルでの入学式の映像を配信し各教室にて視聴するなど、その出発から皆さんの期待どおりの大学生活を始められなかったかもしれません。さらに、世界に目を転じると、独裁的な指導者が増え、その言動や政策がマスコミ報道を賑わせております。特に、ウクライナの戦争も4年目に入り、またイスラエル・シリア紛争、さらには、アメリカ・イスラエルとイランの戦争などが勃発し、多数の犠牲者がでております。また、経済活動の停滞は、物価高騰や多くの失業・経済的困窮を生み、世の中が殺伐として、格差も広がっております。

皆さんは、こうした状況の中で、学生生活を送り、本日、大学を卒業し、社会に出るわけです。なかなか周りの人のことを思いやる余裕がなかったかもしれません。しかし、そうした中で、本学が掲げる「Do for Others」の教育理念は輝きを増しています。
この「Do for others」の後に、「what you want them to do for you」、「人にしてもらいたい と思うことは何でも」、 「人のためにしなさい」との黄金律が続きます。

ところで、 洋の東西を問わず、中国の孔子も同じような教えを説いております。
「己の欲せざるところ、人に施すなかれ」と(衞霊公篇)。
これは、孔子の弟子、子貢という者が、孔子に「一言にして以て 身を終るまで之を行うべきものありや」と問う。つまり、“一文字で表すと、生涯、守っていかなければならないものがありますでしょうか”と問うたところ、孔子が答えて曰く、「それ恕」なり。
“恕”とは、心のごとしと書き、訓読みでは、恕す(ゆるす)、恕いやる(おもいやる)とも読みます。
「人の心も自分の心と同じであろうと思いやる心持ち、すなわち他人の立場や心情を察すること」を意味します。このあとに、先に述べた、「己の欲せざるところ、人に施すなかれ、と」と続きます。

見方や立ち位置が、能動的か受動的かの違いはあれども、キリスト教と儒学ともに、「他人の心のうちを思いやって」行動することが、生涯で一番大切なことだ、と説いているわけです。
この“思いやり”の気持ちが欠落し始めている今日この頃です。日々の生活のなかでちょっとした心がけ一つで、周りが変わり、世の中が大きく変わってくると思います(以上、村山吉廣 『論語名言集』〔中央公論新社、1999年〕42頁以下から引用・参照)。

皆さんが、大学を巣立つにあたり、明治学院大学の教えや学びは、こういうものだ、すなわち、
「Do for others, what you want them to do for you.」、「恕」、「恕いやりの心を養う」ということを、
あらためて確認してください。 卒業・修了、誠におめでとうございます。終わります。



鵜殿 博喜  Hiroyoshi Udono

学院長

鵜殿 博喜 学院長


みなさん、卒業おめでとうございます。
また、別室でこの卒業式をご覧になっている保証人のみなさま、ご関係のみなさまにも心よりお祝いを申し上げます。

希望が持ちにくい時代です。デンマークの思想家キルケゴールは、『死にいたる病』という本のなかで、〈絶望は死に至る病である〉と書きましたが、絶望の反対語が希望であるとすれば、希望こそ生に至る道と言えるでしょう。中国近代文学の父と言われる魯迅は、『故郷』という小説の最後にこんなことを書いています、「希望とは本来あるとも言えないし、ないとも言えない。これはちょうど地上の道のようなもの、実は地上に本来道はないが、歩く人が多くなると、道ができるのだ」(藤井省三訳)。多くの人々が自分の希望を抱くことによって、社会の希望も生まれると言っているのではないかと思います。

この希望についての魯迅の言葉は個人的にとても好きなのですが、今日は別な観点から希望についてお話したいと思います。

以前何度か読んだことのあるヴィクトール・フランクルの『夜と霧』という本をあらためて読み返してみました。皆さんもご存じかもしれませんが、フランクルは心理学者で、ナチスの時代に、まずアウシュビッツ強制収容所に入れられ、そのあと別な収容所に移されて、なんとか生き延び、戦後はウイーン大学の教授として国際的に活躍し、老年までウイーン大学の人気教授として多くの学生の指導に当たった人です。戦後ドイツ語で書かれた本が1956年に日本語にも翻訳され、2002年には原著の改訂版をもとに新しい訳者による新しい翻訳が出版されました。日本語のタイトルは『夜と霧』ですが、原題は「心理学者が強制収容所を体験する」というもので、一心理学者であるフランクルが体験した強制収容所の記録であり、心理学者として、あるいは真の思想家として、フランクルが収容所のなかで観察したこと、感じたこと、考えたことが内容になっています。訳者のあとがきによると、ある全国紙が2000年末におこなった、「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの1冊」という大掛かりなアンケートで、翻訳ドキュメント部門で第3位になったそうです。

『夜と霧』のなかにこんな言葉が書かれていました。
「自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所内で破綻した。そういう人は未来とともに精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していったのだ。」

学生時代に自分の夢を抱き、希望をもって巣立っていった学生を何人も知っています。希望の力というのは、その人の中に眠っている能力を引き出し、生きる力を与え、勇気を鼓舞してくれます。未来が茫漠としているときこそ、希望の輝きは大きいとも言えます。
皆さんの前には茫漠とした未来が広がっています。私は学生のころ、時間は無限にあると感じたものです。来し方を振り返れば時間はあまりに短く、行く末をみれば時間はあまりに長い。皆さんの多くは、自由で強制の少ない学生時代に終わりを告げ、社会に出ていかれます。社会人として生きていくなかでは、多くの楽しいことうれしいことがあるでしょう。しかしそれとともに同じくらい苦しいこと辛いこともあるはずです。安楽なだけの人生などどこにもありません。そういうなかで皆さんは何を拠り所にして生きていくのでしょうか。

卒業式に「苦しみ」について語ることはふさわしくないかもしれませんが、生きるということは、日々ぶつかる苦しみや困難を一つずつ乗り越えていく道程と言ってよいのではないかと思います。『夜と霧』のなかにはこんな言葉があります。

「人間は苦しみと向きあい、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引き受けることに、ふたつとない何かをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。」

キリスト教的な言い方をすれば、人間は一人ひとり神によって創造され、かけがえのない人格をそなえています。それは、生きるということについては、だれも自分の代りに生きることはできないし、だれも他人の代りに生きることはできない、ということでもあります。そういう意味で皆さんの生はかけがえのないものであり、一人ひとりが生きることに責務を負っているということになります。

新約聖書の「ローマ人の信徒への手紙」のなかにこんな一節があります。
「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。」

苦しいことにぶつかったときは忍耐が必要です。必要というよりも耐え忍ばなければならないということになります。そして耐え忍ぶことによって人は鍛えられ経験豊かになり、それが未来への希望につながっていくということです。

希望は幻想とは違います。幻想はある種の願望であり、思い込みでもあります。幻想が現実にならなかったとき、人は失望せざるをえません。しかし希望は失望に終わらないと聖書にあります。希望は内面的であり、私たちが生きているこの世を超えていると言ってよいでしょう。言わば究極の未来です。

式辞を閉じるにあたって皆さんにひとつの言葉を送りたいと思います。旧約聖書のイザヤ書という書物に書かれている言葉です。
「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。」
卒業おめでとうございます。