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時代の変化を告げたイギリスのEU離脱 −答えが一つではない問題を扱う政治学−

2021.12.24

2016年、イギリスは国民投票によってEUからの離脱を選択しました。池本大輔教授はこの年を「一つの時代が終わり、新しい時代が始まった年」といいます。冷戦終結以後、長く続いてきたグローバル化に対する「普通の人々の反乱」とも言われたイギリスのEU離脱。イギリス政治とEUを専門とする池本教授は、離脱の原因は何か、離脱がイギリスとEUの関係にどう影響するのかを研究し、新しい時代の民主政治の在り方について考察を深めています。

池本 大輔 法学部政治学科教授東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。オックスフォード大学政治学部博士課程修了。博士(政治学)。専門はヨーロッパ統合、ヨーロッパ国際関係史、イギリス政治。本学法学部政治学科准教授を経て、2017年4月より現職。近著に『EU政治論 国境を越えた統治のゆくえ』(共著、有斐閣ストゥディア、2020年)、『欧州統合史 二つの世界大戦からブレグジットまで』(共著、ミネルヴァ書房、2019年)など。

離脱の流れを作った「移民」ともう一つの理由

2020年1月、イギリスは正式にEUを離脱しました。EU残留の是非をめぐる国民投票で離脱派が勝利したのは2016年6月で、同じ年の11月には米大統領選でトランプ氏が当選。政治学では、この2つの出来事はグローバル化に対する反発やポピュリズムの台頭という形で議論されています。

なぜイギリスの人々はEU離脱を選択したのか。その理由として一般的にいわれているのは、東欧からの移民の急増です。2004年と2007年に旧東欧諸国がEUに加盟すると、新しく加盟した国々から西側へ多くの移民が流入しました。さまざまな事情で人の自由移動に関する移行期間を設けていなかったイギリスには、特に大勢の移民が押し寄せました。イギリスは当初、安い労働力として移民を歓迎していたのですが、リーマンショックによって状況が一変します。深刻な経済的打撃を受けたイギリスは、教育や福祉の予算を大幅に削減し、社会サービスが低下。その不満から移民への反発が広がり、地方在住者や比較的学歴の低い人を中心に、EU離脱への支持が集まりました。

移民を理由にEU離脱を支持したのはいわゆる「普通の人」でしたが、エリート層の中には、全く違う理由から離脱を支持していた人たちがいました。

リーマンショック後のグローバル金融危機により、各国の金融機関には多くの公的資金が注入されました。巨額の税金を使った銀行の救済には世論の批判が強く、EUは金融への規制や監督強化に向けて動き出します。しかし、金融業が経済の中心であるイギリスでは、金融規制が強化されると国全体の経済に大きな打撃を受けます。それを嫌った企業経営者や、二大政党の一角である保守党の政治家の一部が、EU離脱を支持するようになったのです。

金融規制強化が離脱支持の要因になったという点は、イギリスでもあまり指摘されていないのですが、普通の人々の移民への反対とエリート層の金融規制への反発という二つの大きな流れが結びつき、離脱への動きが加速したと私は考えています。

2021年、イギリスのジョンソン政権はEU離脱後の国家戦略に「グローバル・ブリテン」を掲げ、日本を含むインド太平洋地域との連携を強めています。ジョンソン首相は離脱派の中心人物でしたが、移民やグローバル化への反発を理由に離脱を求めていたのだとすると、今になって「グローバル」を旗印にするのは少しおかしな話ですよね。この辺りからも、同じように離脱を支持していたように見えて、政治のトップと一般の市民との間には考え方のギャップがあったことが見て取れるのではないでしょうか。

元々複雑だったイギリスとEUの関係

イギリスとEUの関係は、元々あまり良好なものだったとは言えません。イギリスは、1950年代に設立されたEUの前身組織には参加せず、ヨーロッパ共同体(EC)に加盟したのは、ほかのヨーロッパの主要国より遅い73年のことです。イギリスがヨーロッパ統合に消極的だったのにはいくつか理由がありますが、その一つに、歴史的にアメリカ、オーストラリアなどの英語圏との関わりが深く、大陸ヨーロッパの国々よりそちらとの関係を重視してきたことが挙げられます。また、イギリスは組織への参加が遅かったため、既に出来上がっていたEUの仕組みに自国の制度を適合させる必要に迫られました。しかし、イギリスの法律や政治のシステムはEUの制度と相性が悪く、適応が難しかったという点もイギリスとEUがうまくいかなかった要因だと考えています。

イギリスとECの対立で特に有名なのは、サッチャー首相時代の予算に関する対立です。サッチャー首相はECに対して拠出金の一部返還を要求し、激しい交渉の結果、一定程度の妥協を勝ち取っています。保守党初の女性党首であり、1979年にはイギリス初の女性首相となったマーガレット・サッチャーは、イギリスがグローバル化するきっかけを作った人物です。サッチャーは就任当初、発足予定だったEUへの参加に賛成していました。しかし、首相末期には一転して消極的になり、それが保守党のEUに対する方針が変わるきっかけになったといわれています。最近では、サッチャーをEU離脱の起点になった人物だとする議論もあり、私が専門とするイギリスとEUの関係において非常に重要な人物でもあります。現在私はサッチャーの伝記を執筆中で、庶民の家庭に生まれたという生い立ち、政治家としての歩み、サッチャー政権下の経済や社会などを幅広く盛り込み、人物像を浮き彫りにしていきたいと考えています。

EU離脱とコロナ禍がイギリス社会に与える影響

EU離脱で移民という労働力を失ったイギリスでは、今、コロナ禍のあおりを受けてさらなる人手不足が起きています。感染拡大で多くの人が他業種に転職してしまった飲食業や観光業では、特に労働力不足が深刻です。

人手不足はサービスの低下を招く恐れがある反面、その業種で働く人の賃金が上昇するため、悪いことばかりとは言い切れない側面があります。古い話になりますが、中世にペストが流行した時、ヨーロッパでは人口の半数近くの命が失われ、労働力人口が激減しました。ペストの終息後、貴族は自分の領地を耕す人を確保するのに苦労し、それを機に貴族と平民の力関係が平民優位に傾いたといわれています。もちろん新型コロナウイルスはペストほど人口に影響はありませんが、今回のコロナ禍もまた、働く人と経営者、働く人と消費者の利益のバランスが変わるきっかけになるのかもしれません。この30年ほどの間、日本やイギリスをはじめ、先進国の賃金水準は伸び悩んでいます。パンデミックがそうした状況を変え、社会構造の変革を後押しする要因になるのか、非常に興味深く観察しているところです。

EU離脱とともに訪れた「冷戦後の時代」の終焉

私が国際政治に興味を持ったのは、10代半ばで起きた東西冷戦の終結がきっかけです。冷戦の象徴だったベルリンの壁が人々の手で打ち壊されたこともあり、当時はみんなが協力すれば社会を良い方向に変えられるという、前向きな思考が強かった時代でした。余談ですが、私と同世代にはヨーロッパを研究する国際政治学者がとても多く、話を聞くとやはりみなさん若い頃に冷戦終結を見たことが研究者としての原点にあるようです。

ベルリンの壁の崩壊は「冷戦後の時代」の始まりを告げる出来事でした。その後、世界はヒト・モノ・カネ・サービスが国境を超えて自由に動き回るグローバル化が進み、EUはその象徴ともいえる地域でした。グローバル化は、若者や高学歴層には人生の可能性を広げるチャンスになりましたが、一方で、年齢が高く比較的学歴の低い人たちの中には、移民の増加や社会の変容についていくことができず、取り残されたように感じる人も増えました。そうしたグローバル化への反発は、2016年、イギリスのEU離脱とトランプ大統領の誕生という形で表面化します。トランプ氏が当選したのは2016年11月9日。くしくも、1989年にベルリンの壁が崩壊した日と同じ日です。そうした偶然も重なり、国際政治学者の中では、トランプ大統領の誕生は「冷戦後の時代」の終わりであり、新しい時代の始まりであるともいわれています。2016年は、世界の潮目が大きく変わった年だったのかもしれません。

「民主政治とは何か」を問い直す

トランプ大統領が誕生するまで、アメリカの普通の市民はもちろん、政治学者でさえ「アメリカが民主政治の国ではなくなるかもしれない」とは微塵も思わずに生きてきたでしょう。この5年間で私たちは、アメリカのような発展した社会でも民主政治が危機に瀕することがあるという現実を目の当たりにしてきました。そうした時代の境目にあって、今私があらためて考えたいのは「民主政治とは一体何なのか」という問題です。

もちろん「民主政治とは何か」は、政治学の教科書を開けば必ず載っています。しかし、政治学の世界では昔から「民主政治とは何か」とは世代ごとに繰り返し考えなければならない問題であるといわれてきました。そのある種の「古い言い伝え」が現実味を持つものとして浮かび上がってきたのが、2016年以降の世界だったように思います。

今、世界中の政治学者の間で、民主政治とは何かを問い直す議論が続いています。たとえば、現代の私たちは選挙で議員を選んで政治を任せていますが、この仕組みは本当に民主政治なのかという議論があります。民主政治発祥の地である古代ギリシャでは、すべての人が社会運営に責任を持つことが民主政治だという考えに基づき、公職者をくじで選んでいました。立候補した人の中から政治家を選ぶ現代の議会制民主政治の仕組みは、もしかしたら民主政治とは言えないのかもしれません。

また、グローバル化と民主政治は両立するものなのか、もっと言えば、民主政治は違いに対して不寛容な体制ではないかという議論もあります。民主政治の下では、社会に対して全員が発言権を持っているため、外から入ってきた人を自分たちと対等に扱うことが難しくなります。むしろ、為政者が社会の在り方を決め、人々がそれに従うだけの独裁的な体制の方が、民族や宗教の異なる人々が併存しやすいという可能性もあります。

国際的に開かれた社会でありつつ、人々の不満を解決できる程度まで民主政治を機能させることは、なかなか難しいようです。しかし、国際政治学者として、それを実現させる方法をこれからも考えていきたいと思っています。

自分とは違う見方を意識させる授業を

大学では、1・2年生向けの国際政治学、3・4年生向けの国際組織論、比較政治の授業を担当しています。授業ではいつも、自分とは違う見方があることを意識してほしいと学生に呼び掛けています。

政治学は、答えが一つではない問題を扱う学問です。たとえば、国際政治では軍事力をどの程度重視するかによって、物事の見方や考え方が大きく異なります。軍事力を重視する立場を現実主義といい、現実主義ほど重視しない立場を国際協調主義といいますが、授業では、こうした異なる見方があることに触れた上で、なぜそのような違いが生まれるのかを掘り下げて説明しています。自分が現実主義的な立場だとしても反対の立場があること、逆に、国際協調主義に賛同していても国際政治では軍事力が無視できない影響力を持っていることを意識して学んでほしい。すぐに答えを求めるのではなく、さまざまな見方に触れながら考えを深めていく力を養う授業にしたいと考えています。

法学部の中でも政治学科はゼミ重視

明治学院大学の法学部には政治学科やグローバル法学科があり、国際政治や国際関係を深く学ぶことができます。国際問題に興味がある高校生には、ぜひ本学の法学部で学んでほしいですね。私が所属する政治学科は、法学部の中でもゼミを重視している学科です。3年生から2年間継続してゼミを履修し、卒業論文を執筆する学生の比率も高いのが、特徴だと思います。私のゼミでも、4年生はそれぞれ興味関心があるテーマで卒論を書いています。

卒論を面倒だと考える学生もいると聞きますが、私は「卒論を書く」という行為自体が、社会人として必ず求められる力を養うものだと考えています。自分が何を考えているのかを正確に意識することは難しく、それを文章にして他者に伝えるのはさらに難しいことです。知りたいことをリサーチして集めたデータを分析し、自分の考えをまとめ、それがはっきり伝わる論文に仕上げる。その過程で養われる論理的な考え方や文章力は、学生が卒業後に就くほとんどの業務に欠かせない能力です。ゼミの学生には、内容の指導に加え、執筆を通して社会で目標を達成するための力が身につくことも伝えるようにしています。

大学4年間をどう過ごすかは、その後の人生にとって本当に重要です。使い古された言葉ではありますが「努力なくして成功なし」。学生にはいろいろなことにチャレンジし、目標に向かって努力する経験を積み重ねてほしいと願っています。

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