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‟酒店”と‟福祉”で地域の受け皿になりたい。活動の原点は、明学での学びから

2023.06.14

東京・墨田区の下町の住宅街にある、角打ちも楽しめる酒屋「岩田屋商店」。近所のなじみ客や仕事帰りの人が次々と立ち寄るアットホームなお店です。ここを営むのが、ともに明治学院大学社会学部社会福祉学科を卒業した岩田謙一さんと舞さんご夫妻。勤務していた社会福祉法人で出会い、ご結婚後、謙一さんが家業の岩田屋商店を継ぎました。現在は二人で酒店の経営をしながら、謙一さんは民生委員、舞さんは保護司として福祉の活動もしています。「明学で出会った先生や、そこで学んだことが人生の土台になった」と話すお二人に、現在の活動内容や、明学での思い出について聞きました。

Iwata Kenichi 岩田 謙一 2005年 社会学部 社会福祉学科卒

明治学院大学卒業後、社会福祉士として社会福祉法人で13年間働く。2019年に家業の岩田屋商店の後を継ぎ3代目店主となる。酒店オーナーとして働くかたわら、2019年からは民生委員としても活動している。

Iwata Mai 岩田 舞 2006年 社会学部 社会福祉学科卒

明治学院大学卒業後、社会福祉士として社会福祉法人で15年間働く。謙一さんと結婚後、岩田屋商店で働きながら、2022年からは保護司としても活動している。

岩田屋商店&イワタヤスタンド 下町の角打ちできる酒屋
Instagram: https://www.instagram.com/sake_iwataya/?hl=ja

地元の憩いの場である酒店と福祉の活動で地域に貢献

― 民生委員と保護司の活動内容をそれぞれ教えていただけますか。

謙一さん
民生委員は、区民の生活をより良くするためにいます。主な役割は、区民の方の困りごとを聞いて、必要に応じて行政とつなげること。困っていても、誰に頼ったらいいか分からずに、悩みを抱えながら生活している人もいます。そうすると孤立して、さらに状況が悪化してしまうんですよね。そうならないように、町会に1人、民生委員がいます。

明学を卒業後、社会福祉法人で社会福祉士として13年間働いていたのですが、家業の酒店で働くことになり、福祉の仕事から離れてしまいました。何かしらの形で福祉の仕事に関わっていたいという思いで、民生委員に立候補しました。

私が住んでいる寺七西町会にはすでに民生委員がいたので、隣町の玉の井町会の民生委員をしています。民生委員になった2019年当時、私はまだ30代で、全国で30代の民生委員は6人しかいませんでした。基本的には推薦で決まるので、「自ら手を上げる人は珍しい」と驚かれました(笑)。

舞さん
保護司は、犯罪や非行によって保護観察中の方を監督する保護観察官のお手伝いをする仕事です。執行猶予が付いて地域に戻って来た時に、その街になじんで生活できるよう環境を調整し、定期的に面談もしています。保護監査中の方が、孤立すると再犯につながってしまう可能性が高くなるので、困った時にすぐ手を差し伸べることができる存在として、保護司がいます。私も15年ほど社会福祉士として働いていましたので、この資格を生かせる活動ができればと思って始めました。

― 活動のやりがいや、目標があれば教えてください。

謙一さん
民生委員というのは、生活に困窮した人が相談をする人という印象が根強く、特に高齢の方からは「俺は生活に困ってないぞ、帰れ!」と怒られてしまうこともあります。そのため、あえて「民生委員」という名前は出さずに接して、「何かあれば、すぐに対応しますよ」というスタンスを大事にしています。

社会福祉法人で働いていた時は、「ありがとう」と言われたことがなかったんですよ。だから、民生委員になって「ありがとう」「助かった」と言われた時は、自分のしたことがきちんと誰かのためになっているんだなと思えて、すごくうれしかったです。

舞さん
2022年11月から保護司の活動を始めたので、まだ半年程度。やればやるほど活動内容が深くなっていくと同時に、難しさを感じているところです。地域に戻れば悪い誘惑もありますし、一方で新たな可能性もあります。そこにどう寄り添っていくか。保護司は、これまでの社会福祉法人の仕事よりもできる幅が広い。「あなたがいて良かった」「1人じゃない」と思ってもらえる存在でありたいと思っています。

― 福祉の活動と酒店の経営はつながっているのでしょうか?

謙一さん
前職の社会福祉法人で、路上生活で苦しい思いをしている方たちと接した時に感じたのが、「もっと地域でできることがあるのではないか」ということでした。不安定で崩れ落ちそうな人たちに対して、ほっとできるような「サードプレイス」となれる場所をつくれたらという思いがずっとありました。

酒店は手段でしかなく、たまたま祖父がつくったのが酒店だっただけ。目的は地域に貢献することです。だから、お酒をたくさん売って儲けたいという思いはまったくありません。「岩田屋があって良かった」「岩田屋のおかげで毎日が楽しくなった」と思ってもらえるような場所にしたいと思っています。

近所の子どもが裸足で「お菓子ください」ってお店に来るんですよ。会社帰りに毎日立ち寄る人もいます。こうして人とつながる場所があることで、もっともっと人生は明るくなるし、明日が楽しみになる。そんなふうに、私は街を変えたいんです。

舞さん
2022年に岩田屋商店の店内に角打ちスペースを設けるリニューアルをして、この「イワタヤスタンド」を立ち上げるにあたり、二人でコンセプトを考えました。その時に思い浮かべたのが「サードプレイス」という言葉です。のれんのロゴマークの、二つの星は私たち夫婦。三日月に模したのが“受け皿”を表していて、私たち二人が街を照らす存在になれたらという思いを込めました。店が開いている時間なら、誰でもいつでも、どんな目的であっても来られる場所を目指したいと思っています。

社会福祉を学ぶために明学へ

― 明治学院大学を選んだ理由を教えてください。

謙一さん
家の近所の隅田川の川岸にブルーテントがいくつもあって、幼い頃から「この豊かな日本で、なぜ外で寝ている人がいるんだろう」と不思議だったんです。成長するにつれて自分でいろいろ調べるようになり、社会福祉に興味を持つようになっていきました。

ただ、私は明治学院とは違う私立中学・高校に通っていました。9割がそのままエスカレーター式に大学まで進学する中で、「このままここで上がっていくのは嫌だな」と思ったんですよね。エスカレーター式で進学できる大学でも社会福祉は学べたのですが、親の反対を押し切って社会福祉学の歴史がある明学を受験しました。

舞さん
私の場合、父が特別支援学校の先生をしていたので、幼い頃から障害者の方が身近にいました。父が障害者の方と接する時は、家でも見せないような笑顔になっていて、すごく楽しそうだったんです。子どもが好きなので、保育士とも迷いましたが、父の影響もあり社会福祉士を目指そうと思い、社会福祉の勉強ができる明学を選びました。

― 大学時代に思い出に残っていることは?

謙一さん
私は望んで入った大学なので、真剣に勉強しましたし、授業はいつも1 番前で受けていました。

舞さん
すごい。私はそんなに真面目な学生ではなかったと思います(笑)。埼玉県から通っていたので、1~2年次は戸塚にある横浜キャンパスまでの通学が大変でした。朝5時半に起きて東海道線に乗って、どこに連れていかれるんだろう……といった感じで、小旅行でしたね。

謙一さん
大学生活で1番大きな出来事は、大学2年で新保美香先生の公的扶助の講義を受けたことです。その後、新保先生のゼミで勉強するようになるのですが、新保先生から学んだことが、今の人生の土台になっています。今も先生に会うたびに、「僕がこうなったのは先生のせいですよ」って言うんです(笑)。

舞さん
夫とは1年学年が違うので、一緒にゼミは受けていないのですが、私も新保先生から公的扶助を学びました。夫が言うように、そこで学んだことが、私たちの今の価値観や生き方のベースになっていると思います。

障害者福祉や児童福祉など、福祉にもさまざまな分野がある中で、公的扶助を学ぶという同じ志を持った仲間たちと一緒に実習して、「卒論を乗り切ろう!」と言いながら絆が深まっていき、最後の1年間はとても楽しかったです。

公的扶助のゼミで共生社会の担い手となる力を身につけた

“Do for Others(他者への貢献)”の教育理念の中で大事だと思うこと、明治学院大学で学んだと思う力はなんでしょうか。

謙一さん
特に「共生社会の担い手となる力」というのは、ずっと自分の中にあります。まさに社会福祉の考え方ですよね。

例えばイワタヤスタンドのコンセプトを考える時も、いかにお店に入るハードルを下げるかと考えて、通行者に中の様子が見えるように入り口は全面ガラス張りにしました。お店は車いすでも入れますし、私は手話ができるので、それを知ったろう者のお客様も来ます。

大学で「共生社会」の大切さを学んだことが今の仕事にもつながっています。

舞さん
私は「他者を理解する力」でしょうか。私たちが働いていた前職の社会福祉法人は、生活保護を受けている方の支援施設でした。生活保護については、「自己責任」や「自業自得」などと批判する人もいますが、日本国民は全員が生活保護を受ける権利があります。どんな理由があるにせよ、その人の今の状況を理解することが大切です。まさに、前職では明学で学んだ「相手を理解する力」が生かされたと思います。

― お二人が思う「明学らしさ」とは?

舞さん
授業を受けていて感じたのは、先生方の考え方がとてもフラットで、人を否定せず、どんな人も受け入れる雰囲気があることです。その雰囲気は“Do for Others(他者への貢献)”の教育理念から出来上がったものかもしれませんが、とても居心地が良かったです。

謙一さん
高校までは、どちらかというとガツガツしている校風だったので、明学は明らかに雰囲気が違っていました。先生も生徒も優しくて、常に誰かのことを考えている。そんな校風が、自分には合っていたと思います。もし、エスカレーターで他大学に行っていたら、今は金儲けに走っていたかもしれません(笑)。

たとえ希望して大学に入っても、4年間ずっとその思いを貫くのは難しいものです。迷った時は、なぜ大学に行こうと思ったのか、初心に返ることが大事だということを、学生の皆さんに伝えたいですね。

また、大学は基礎を学べる場所です。そういったベースがあってこそ、初めて常識を疑うことができます。イワタヤスタンドもまったく酒店っぽくないお店ですが、社会福祉の基礎があったからこそできたこと。常識を外れても筋を通すためには、ベースが必要です。大学ではそういった基礎をぜひ身につけていただきたいなと思います。

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