明治学院大学
JPEN
2026.06.25

「臨床の経験」と「社会学の知」が融合して新たな未来が見えてきた

学生
「臨床の経験」と「社会学の知」が融合して新たな未来が見えてきた
社会学研究科 社会学専攻 博士前期課程
2026年3月修了
森下 恵理子

看護師・助産師としての経験から中絶医療の在り方を探究する道へ

私は1981年に生まれました。その年は世界で初めてHIV患者が報告された象徴的な年でもありました。小学生の頃、アフリカなどで深刻化する母子感染のニュースに触れ、「こうした母子を救うためにHIVに関わる仕事をしたい」と幼心に思ったことが、看護の道を志した原点です。短大を卒業して看護師資格を取得し、臨床現場を経験した後、さらなる専門性を求めて大学へ編入し助産師資格を取得しました。助産師としてキャリアを積む中で、厚生労働省のエイズ対策政策研究推進事業の一環として、国立国際医療研究センター(現国立国際医療センター)においてリサーチ・レジデントとしての勤務する機会も得ました。そして、当初の目標であったHIVに関わる活動については一つの区切りをつけることができました。しかし、日々の臨床現場に身を置く中で、新たな問題意識が芽生え始めました。

助産師の本来の職務は「出産」という生命の誕生を支えることですが、その教育過程や実践の中で、私は次第に「産むこと」以上に「産まないという選択」を迫られる女性たちの存在に強く惹かれるようになりました。日本では出産に対するケアは非常に手厚い一方で、中絶を選択する方々に寄り添う視点や体制が驚くほど乏しいのではないかという疑問です。特に2023年、フランスから30 年以上も遅れてようやく日本で経口中絶薬が承認されたことは、私にとって決定的な転機となりました。この制度の遅れや、導入を巡る議論の背後には、単なる医学的・安全性の問題にとどまらない、日本固有の法制度、伝統的な家族観、そして根深いジェンダーバイアスが複雑に絡み合っています。これらは、まさに個人の問題を社会の構造から読み解く「社会学」の射程において分析されるべき課題であると感じました。

看護学は「いかに目の前の患者を支援するか」という実践知を重視しますが、社会学は「今、社会で何が起きているのか、なぜそのような構造になっているのか」を客観的かつ実証的に分析する学問です。臨床現場で感じてきた言語化しがたい違和感を、社会学の視座からとらえ直したい。中絶を巡る制度や実践、そして当事者の経験を社会学的に分析することは、日本のリプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康と権利)の向上に不可欠であると確信し、未知の領域である社会学の門を叩きました。



アウトプット重視の学びと修士論文執筆を通して視野を拡大

大学院進学にあたり、私が明治学院大学大学院を志望した最大の理由は、社会学研究科の柘植あづみ教授の存在です。柘植教授は医療社会学およびリプロダクティブ・ヘルス研究の第一人者であり、以前から著書を通じてその深い知見に感銘を受けていました。不思議な縁もあり、以前私が寄稿した雑誌の数ページ隣に、偶然にも柘植先生が生殖補助医療についての記事を書いていらっしゃったこともありました。こうした親近感と、教授のもとで学びたいという熱意が入学の決め手となりました。

実際に入学してみると、短大・大学とはまったく異なる学びのスタイルに圧倒されました。大学の学部教育が知識を吸収する「インプット」中心であるのに対し、大学院は自らの問いを立て、論理的に構成して発信する「アウトプット」の訓練の場です。一冊の学術書を読み込み、担当箇所を要約してプレゼンテーションし、先生や院生仲間と徹底的に議論する。自分一人では決して手に取ることのなかった多様な文献に触れる過程は、非常にハードではありましたが、それ以上に知的好奇心を刺激するものでした。専門職として培ってきた「狭くなりがちな視野」が、社会学という広大な視座によって解きほぐされていく感覚は、自分の成長を実感させてくれるものでした。

修士論文では「医師の中絶観-日本における中絶薬導入期の医療実践から-」というテーマに挑みました。経口中絶薬が承認されたにもかかわらず普及が進まない現状に対し、鍵を握る産婦人科医たちがどのような意識を持って処方や処置に当たっているのかを解明することが目的です。全国的なアンケート調査を実施した上で、5名の医師に直接インタビューを行いました。調査の結果、医師たちは強い使命感を持って中絶医療を提供している一方で、いくつかの重要な実態が明らかとなりました。第一に、医療の現場には依然として「医師が女性に医療を施す」というパターナリズム、第二に、医師自身が心理的葛藤を抱えているということでした。医師個人の高いプロフェッショナリズムと、その背後にある構造的なパターナリズム、さらには内面的な苦悩が多層的に絡み合っている現状は、まさに日本の医療界とジェンダー構造の関係性を象徴していると言えるのかもしれません。2025年にはオーストラリアで開催された国際学会でのポスター発表を経験しましたが、諸外国の専門家から「なぜ日本の中絶薬はこれほど高額なのか」と驚かれたことも、日本の現状を相対化する貴重な機会となりました。こうした実証的な研究を通じて、現場の「当たり前」を問い直すことの重要性を痛感しました。

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学修・研究を支える手厚い環境の中で「社会調査士」資格を取得

大学院での学びにおけるもう一つの大きな収穫は、「社会調査士」および「専門社会調査士」の資格取得に向けた学修プロセスです。入学当初はこの資格の存在すら知りませんでしたが、自身の研究の妥当性や客観性を担保するためには、社会調査のルールや手法を基礎から学ぶ必要があると考え、資格取得への挑戦を決めました。通常、学部4年間で履修する内容を2年間で修得し、さらに高度な専門社会調査士資格まで取得するスケジュールは多忙でした。特に1年次は、資格取得のための講義と修士論文の準備が重なり、時間割が隙間なく埋まる状況でしたが、ここで得た統計学の知識やインタビューの技法は、私の研究を支える強固な骨格となりました。

社会調査士の資格は、単なる肩書きではありません。社会の事象をデータに基づいて冷静に分析し、その結果を論文として結実させるための、いわば「思考の作法」を身につけるものです。このスキルは、学術の世界のみならず、マーケティングや政策立案など、根拠に基づいた判断が求められるあらゆる業種・職種の現場において実用性の高いものであると確信しています。明治学院大学大学院には、こうした資格取得を強力にバックアップするカリキュラムが整っており、専門外から飛び込んだ私のような社会人学生にとっても、着実にステップアップできる環境が提供されています。

また、本大学院の魅力は、何よりも学生一人ひとりに対する「教員の心配り」と「充実した施設」にあります。どの先生方も非常に親身で、研究に行き詰まった際には温かく、かつ的確な助言をくださいました。また、大学院生専用の共同研究室は、集中して研究に励むことができる理想的な場所です。図書館の利用についても、学部生より多くの冊数を長期間借りられたり、研究者用個室を利用できるなど、研究者としての第一歩を歩む者に対して非常に手厚いサポート体制が整備されています。白金キャンパスの静謐な環境と、自宅から通いやすい立地の良さも、仕事と学業を両立させる上での大きな支えとなりました。経済的な面でも、学内の奨学金制度が充実しているため、将来への不安を感じることなく、学修・研究に没頭することができます。



研究成果をもとにリプロダクティブ・ヘルスの未来を草の根から変えたい

博士前期課程での2年間を経て、私はさらなる研究の深化を目指し、博士後期課程への進学を決意しました。博士前期課程で明らかにした「医師側の意識」を踏まえ、今後は「中絶薬を利用する女性自身の主体性」に焦点を当てた研究をしたいと考えています。女性が自らの身体について主体的に選択するとはどういうことなのか、それを阻む社会的要因はどこにあるのか。海外との比較研究も視野に入れながら、あと3年間をかけてじっくりと探究していくつもりです。将来的には、研究成果を書籍として出版することや、所属する団体での出張授業などを通じて、臨床現場の助産師や看護師の方々へ知見を還元し、日本のリプロダクティブ・ヘルスの状況を草の根から変えていく活動に貢献したいと願っています。

日本では少子化が大きな社会問題となって久しいですが、それは単に「子供を産めば解決する」という単純な話ではありません。今の医療や福祉のあり方、そして社会制度そのものが、現代を生きる女性たちの実感と乖離していることに本質的な課題があるのではないでしょうか。大学院での研究は、こうしたマクロな社会問題とミクロな個人の経験をつなぎ合わせ、新たな解決の糸口を見つけるための極めてクリエイティブな作業だと実感しています。

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