今日の日本において、高齢者福祉は非常に重要な社会課題です。私は大学院時代から、高齢者福祉の中でも、認知症のある方と家族介護者がより良い生活を続けるために必要な支援について、調査研究を行ってきました。現在は、特に認知症がある方の「意思決定支援」に着目し、認知症があってもその人らしい生活を持続するにはどのような意思決定支援をする必要があるのか、ソーシャルワークの実践モデルの構築に向けた研究を進めています。
そもそも「意思決定支援」とは何をすることなのでしょうか。認知症があるかどうかに関わらず、私たちは誰でも日常の中でさまざまな意思決定をしています。今日何を着るか、晩ご飯に何を食べるか、どんな髪型にするかといったこともすべて「意思決定」です。本来、そうした意思決定は自分自身で行うべきものですが、認知症が進行して認知機能が低下すると、一人で物事を決めることが難しくなることがあります。その一方で、認知症がある方や高齢の方には、介護施設への入居、病気の治療など、重要な意思決定をする場面が多々あり、そうした場面では意思決定に必要な情報の収集、状況の把握や理解などへのサポートが求められます。
これまで、社会では認知症になると「何も分からなくなる」「一人では何もできなくなる」といった誤解や偏見が強く、認知症がある方の意思決定は、家族や専門職による代行決定が当然視されてきました。しかし、「認知症」とひとくちに言っても症状や進み具合は人によって異なり、認知症と診断されたからといって、急に何も分からなくなるわけではありません。そもそも、誰でも他人には理解されにくい選択をすることはありますが、よほどのことでなければ、周囲の人がそれを禁じたり阻止したりはしないでしょう。それなのに、認知症と診断されたというだけで、他人が理解しにくい選択を「認知症で何もわからなくなっているからだ」と決めつけていいのでしょうか。認知症がある方の意思決定支援は、本人に意思を決定する力があることを前提とする(意思決定能力存在推定)ことが重要で、その方の意思を尊重し、それぞれの状況や状態に応じて、安心安全かつ“その人らしい生活”を持続させるために行われる必要があります。
社会福祉の専門家であるソーシャルワーカーは、認知症がある方の様々な生活場面で求められる意思決定に関わることが多々あります。近年、意思決定支援の重要性が浸透し、現場では多くのソーシャルワーカーは、認知症がある方の意思に沿って決めることを支えようとしていますが、どのように支援すればいいか試行錯誤しているというのが実情です。そこで、意思決定プロセスの中でソーシャルワークの理論をどのように生かすべきなのかをガイドラインとして提示したいと考え、調査研究を進めています。現場の実情を把握するため、地域包括支援センターの社会福祉士のみなさんにインタビュー調査を行い、その結果から見えてきた共通の課題をまとめ、今後さらにアンケート調査を実施する計画です。
インタビュー調査を通して課題を感じたことの一つに、高齢者福祉制度が充実しているが故に、個々のケースに応じて支援を行う前に、既存の制度をいかに利用するかに意識が向いてしまうという点が挙げられます。たとえば、一人で意思決定が難しい方のための成年後見制度は、本人(被後見人)を財産管理や契約の面で不利益から保護することができる有益な制度です。一方で、制度を利用すると本人のさまざまな権利が制限されるため、まずは制度利用前にできる支援を考えるべきなのですが、それを飛び越えて、すぐに「成年後見制度を」とある意味機械的に考えてしまう傾向が見られました。成年後見制度利用の前に使える支援や資源を検討し、本人の希望をより丁寧にアセスメントする必要があり、そうした視点も実践モデルを通じて示していこうと考えています。
また、実践モデルの中では、ソーシャルワーカーが組織内でどのように連携しているか、また地域といかにネットワークをつくっているか、さらには認知症のある方の生きてきた人生や日頃の生活の様子をいかにとらえるか、そしてそれが意思決定支援にどう役立つのかも提示したいと思っています。高齢者福祉はすでに従来のように家族ありきで考えることが難しく、今後はいかに社会で高齢者を支えていくかを考えていかなければなりません。意思決定支援においては、元々本人が好きなこと、歩んできた人生を把握することで、よりその人らしさを尊重した支援が可能になります。本人の普段の生活の様子を知る地域の方とソーシャルワーカーとのコミュニケーションも重要になると考え、研究を通じてその在り方を検討していきたいと思います。
国内の意思決定支援に関する研究に加え、最近ではアジアの介護政策にも興味を持ち、調査研究を始めたところです。高齢化は世界的課題ですが、特にアジアは他地域より急速に高齢化が進行しています。アジア各国において高齢者福祉が重要な社会課題となる中、いわゆる「福祉先進国」と呼ばれる北欧諸国のモデルを真似るのではなく、それぞれの国の実用を踏まえた上で、アジアならではの目指すべきモデルを構築する必要があるのではないかという問題意識の下、研究をスタートさせました。日本とアジア各国との国際比較研究などを通じて、より広い射程で高齢化福祉や高齢化問題をとらえていきたいと考えています。
学部と大学院の学びの大きな違いは、大学院では自らが決めた研究テーマに対して、単に理論や事実を整理するだけでなく、そこから何か発見をするオリジナリティが求められるという点にあると思います。大学院生を指導する際は、学外でのフィールドワークを積極的に組んでおり、多様な経験を通して視野を広げ、オリジナリティのある研究ができるようサポートしています。
また、研究においては、小さなことのように思える要素、たとえばたった一つの単語でも、誰もが納得できる根拠を持った定義が求められる場合があります。そのため、大学院生にはとにかく「それはどうしてですか?」「本当にそうですか?」と細かく質問をし続けるようにしています。質問攻めされた学生は苦しいと思うのですが、研究にはそうした厳しさがありますし、私自身も大学院時代に同じような経験をしたことが今の研究を支える力になっているので、根拠を持つことにはこだわって指導しています。
大学院で研究者としての基本的なルールを身に付け、論文を仕上げる過程では、苦しい瞬間もあります。しかし、調査結果をまとめて研究仲間と意見交換したり、仲間とともにフィールドワークを行って議論したりすることはとても楽しく、そこに私は研究者としての醍醐味を感じています。明治学院大学大学院は社会福祉学の教員が多く、横の繋がりが強いため、教員同士で一緒にプロジェクト研究に取り組むこともあります。研究領域が違うと、同じ調査結果からでも見えることがそれぞれ異なり、ほかの先生方との議論を通して新たな発見ができるのは本当に嬉しいですね。
大学院進学を検討しているみなさんに私からお伝えしたいのは、「何のために進学するかを明確にしてほしい」ということです。「何のために」とは、大学院での学びの先に何を目指しているのか、ということであり、それが明確になっていれば、大学院に入る時点で研究テーマを具体的に絞りきれていなくてもかまわないと思います。社会福祉学の研究は、社会に還元できる研究であることが重要です。「研究のための研究」にならないためにも、大学院生には、常に自らに「何のために研究をしているのか」を問い続け、その意義を自らの言葉で表現できる力を付けてくれることを期待しています。