近年、家族や夫婦・カップルを取り巻く問題はより複雑化・多様化しています。児童虐待、DV、不登校、不妊、離婚、再婚とステップファミリー、発達障害やトラウマなど、家族や夫婦・カップルを取り巻く問題が多くの人にとって他人事ではなく、大きな社会問題になっているのは周知の通りです。特にコロナ禍によって社会全体が大きな不安と極度のストレスに襲われ、夫婦や親子が家の中で一緒に過ごす時間が増えたことで家族間のストレスが高まったことも、さまざまなトラブルを誘発する一因になったと考えられています。
私は、こうした家族や夫婦・カップルの問題を理解し心理的な支援を行いたいと思い、心理学の中でも比較的歴史の浅い「家族心理学」を専門領域とし、「家族療法」や「カップル・セラピー」、「アサーション・トレーニング(自他尊重のコミュニケーション)」の臨床実践を行い、臨床心理士や公認心理師、看護師等の対人援助専門職の教育・訓練をしてきました。これまで、精神科クリニック、学生相談室、開業相談機関での臨床実践や、児童相談所、教育相談室、家庭裁判所、男女共同参画センター等での指導・訓練の中で、さまざまな問題を抱える家族、夫婦・カップルと向き合ってきました。
家族療法は、アメリカでは1950年代からそれまでの個人を対象とした心理療法とは異なり、夫婦・家族全体を対象とした新たな心理療法として誕生しました。1980年に女性家族療法家のカーターとマクゴールドリックが編集した『The Family Cycle』は、家族生活のスタートを独身の成人期からとし、新婚期、乳幼児を育てる時期、思春期・青年期の子どもを育てる時期、子離れ・親離れの時期、老年期と成長・変化していく家族ライフサイクルという視点を提供し、家族療法と家族心理学を繋いでいます。日本では、1984年に日本家族療法学会と日本家族心理学会が設立されました。一般的な心理学と家族心理学とでは何が違うのかというと、分かりやすく言えば対象に対する視点や捉え方が異なります。心理学では、家族はあくまでも個人の背景にある二次的な存在です。また、原因と結果という直線的な関係が重視されるため、「何が問題か」「誰が悪いのか」と見がちです。一方家族心理学では、家族そのものに焦点を当て、「誰が悪いのか」ではなく「誰と誰がどのようにしてお互いに影響を与え合っているか」を理解しようとします。また、社会が家族に与えている影響も重視します。
私は大学3年生の時にゼミで臨床心理学を学び、当初は精神分析に興味を持っていました。精神分析は、人間の無意識の世界を深く探求していく心理療法で、個人の心の中にある家族に対するイメージや感情を重視します。その重要な概念の一つに、喪の作業(mourning work)があります。人が大切な対象(重要な人物や環境など)を失った際の心のプロセスです。しかし、大切な家族を亡くした後の実際の家族関係の変化については、十分触れられていません。そんな時ボーエンという家族療法家の「Family Reaction to Death」という論文を読み、家族心理学という学問領域と出会い、大学院に進学しました。そして、個人を見る心理学と人と人との関係性を見る家族心理学の両方を重視する、個人心理療法と家族療法の統合に強く関心を持つようになり、現在に至っています。複雑化・多様化する現代の夫婦・家族をめぐる問題を理解し心理的に支援していくためには、このような統合的な視点はますます重要になってくると思います。
こうした実践と研究の蓄積を経て、最も関心を持って取り組んでいるテーマが、夫婦・カップルの不和と関係の修復です。具体的には「アサーション・トレーニング」を基盤にしながら、二人をそれぞれ個人として理解する視点、二人の関係における相互影響関係や悪循環を見る視点、二人が生まれ育った家族から受けている影響を理解する視点、社会からの影響を理解する視点を多元的に理解し支援することです。「アサーション」とは、「自分も相手も大切にする自己表現」のことであり、自分の気持ちや考えや欲求を率直に表現しますが、相手の気持ちや考えや欲求にも関心を持って聴こうとする、相互尊重のコミュニケーションです。夫婦や家族においては、基本的にはお互いのことを大切にしたいと思いつつも、実際には言い過ぎたり我慢しすぎたりということが起こりがちで、そこから大きな問題に発展していきやすいのです。
自分自身の臨床実践の他には、家族や夫婦・カップルの関係の問題に取り組む専門家への支援にも力を入れています。たとえば、スクールカウンセラー、児童相談所、教育センター、家庭裁判所などで働いている臨床心理士や公認心理師等への支援や専門家としての訓練などにも積極的に関わっています。
現在、大学院で私のゼミに所属している学生は2学年で6名。ゼミ修了後は、総合病院心理職、児童精神科、精神科クリニック、児童相談所、こども家庭支援センター、児童養護施設、スクールカウンセラーなど、さまざまな現場で臨床心理士、公認心理師として、子どもの心の問題、夫婦や家族の問題に取り組んでいます。大学院修了と同時に常勤職として採用されるゼミ生も多くいます。
大学院の授業では、夫婦や親子との合同面接をイメージしたロールプレイに力を入れています。カウンセラーと来談者が一対一で行う一般的な心理療法のロールプレイとは異なり、さまざまな状況に置かれた複数の家族メンバーが来談する面接場面を想定して行うのが特徴です。子どもの不登校に悩む親子、再婚した相手の子どもとうまくいかない夫婦など、多種多様な夫婦や家族の問題を設定しますが、時には学生に問題や家族の状況設定を考えさせて、私は実際のセラピーの時のように、その問題や状況については何も知らない状態でセラピスト役としてロールプレイを行います。終了後は逐語記録を作成し、私が面接中に何を考えていたのか、どのような意図で介入をしたのかを説明し、学生とディスカッションします。こうした実際の面接に限りなく近い実践的なトレーニングを行っている大学院はかなり珍しいのではないかと思います。
大学院生は、臨床心理士や公認心理師といった専門職を目指しています。しかし、単に資格を取得するためだけに学ぶのではなく、心理職の仕事とは何か、臨床とは何か、人が生きるとはどういうことなのか、なぜ自分は臨床の仕事がしたいのかということを大学院時代にしっかり考える必要があります。学部での学びより、さらに自分で考えること、クリティカルに考えること、粘り強く取り組む姿勢が求められます。すぐに分かった気になるのではなく、深く探求し、常に疑問を持ち、物事を批判的に見てほしいと思います。「偉い先生が言っているから」「本に書いてあったから」「ネットに掲載されていたから」と鵜呑みにせずに、きちんと自分の頭で考えることが必要なのです。
さらに、対象理解(他者理解)だけでなく、自己理解を深めることも重要になります。「自分はどんな人間なのか」「どんな価値観を持っているのか」「どんなバイアスがあるのか」といった自己の内面や特徴をしっかり見つめておくことが、その後、実践の場に出てさまざまな人たちと関わる上でとても重要になります。私たちが関わるのは、人が抱えている「悩み」や「問題」だけではなく、その人そのものであり、その人の人生であり、命に関わることなのです。人と向き合う力を備え、さまざまな臨床現場で活躍できる真のプロフェッショナルを育てる準備期間が大学院という教育の場だと考えます。
大学院に進学する時点で、ある程度、修士論文の研究計画が固まっていることが望ましいですが、大学院入学後の学びを通して研究テーマが変わっていくのは、決して間違いではありません。たとえば、大学院入学前は児相相談所で働きたいと思っていた人が、総合病院で実習を行っているうちに身体疾患の患者さんと家族とのコミュニケーションの問題に直面して、「医療現場で患者さんの家族の支援をしたい」と考えるようになる人もいます。家族というテーマは共通していますが、「福祉から医療へ」という関心の違いが生まれ、それに応じて研究テーマが変わっていくのは自然なことですし、より自分が関心の持てるテーマを見出すことができたという意味でも重要な転換でしょう。
もちろん私のところに多くの希望者が来てほしいとは思いますが(笑)、本学臨床心理学コースの良いところは教員同士がお互いにサポートし合いながら学生を指導していくところです。自分が指導するゼミの学生のみならず、「明学の臨床心理学コース全体として、一人ひとりの学生が豊かに学んでもらいたい」という思いがあります。コース全体の教育の質をどう高めていくのか、一人ひとりの学生が将来臨床現場で役に立つ臨床心理士・公認心理師になるためには、何を教えどのように育てていくべきかを教員全員が考えています。そうした学びの環境に関心のある人は、ぜひ受験してほしいですね。
私が専門としている、家族心理学、カップル・セラピーや家族療法は、臨床心理士や公認心理師の世界ではまだまだマイナーです。大学院での学びを通して、この分野を学んだ心理職がより多く育つことを願っています。いま私が育てたいと考えているのは、一つは家族心理学やカップル・セラピーや家族療法の専門家になりたいという人たち。もう一つは、夫婦や家族問題の専門家になりたいわけではないけれども、さまざまな臨床現場で今よりも少しでも家族や夫婦に関わることに取り入れていきたいという人たちの教育・訓練です。たとえば普段は精神科のクリニックで個人の患者を相手にしている、あるいはスクールカウンセラーをしているような一般の臨床家たちが、夫婦や親子の合同面接をする際に少し勇気を出して取り組めるような考え方やスキルを伝えていきたい。こうした二本立てで、家族や夫婦・カップルの問題解決に取り組める人材を育成し、悩みを抱えた人たちの夫婦・家族関係の再構築に貢献していきたいと考えています。