明治学院大学
JPEN
2026.10.19

常識を疑え 先入観を捨てよ 「メディア」の視座から世界を捉え直そう

教員
常識を疑え 先入観を捨てよ 「メディア」の視座から世界を捉え直そう
文学研究科 芸術学専攻
長谷川 一 教授

メディアはものの見方を形づくっている

私の専門はメディア論です。
「メディア」と聞くと、テレビのようなマスメディアやソーシャルメディア、スマートフォンなどを思い浮かべるかもしれません。しかしより本質的にいえば、メディアとは「コミュニケーションの媒(なかだち)をするもの」です。媒とは、たんにこっちと向こうを繋げるだけの技術的な手段ではない。肝要なのは、媒のあり方が物事のあり方そのものを枠づけている点です。つまり「メディア」とは、私たちのものの見方や捉え方、感じ方、理解の仕方などを気づかぬうちに形づくっているのです。

だから私が向きあおうとする対象は、「これがメディアだ」と誰もが知っているものよりも、むしろ誰もメディアだとはおもっていないさまざまな事物や事象のほうです。それをあえて「メディア」として捉え直す。この視点の転換によって、世界の見え方がどう変わり、これまで見落とされていたどんな問いや課題が浮かびあがってくるのか。そんなことを試行錯誤しながら探究する態度が、メディア論の核にあるのです。

メディア論の醍醐味

どこへ向かえばよいかさっぱりわからない迷宮のなかをさまよい歩いているうち、ふとした瞬間に、おもいもよらない場所に行き着いてしまう——そんなところが、メディア論のおもしろさであり、醍醐味であり、そしてまた、あやうさでもあるとおもいます。一見とるに足らないものとして見過ごされていたものが、文化や社会のコアな部分にどこかでつながっている。けれどもその経路は、事前には誰にもわからず、見通すことができない。だからその経路を発見的に探索する。それがメディア論の仕事です。試行錯誤というプロセスそれ自体におもしろさが宿っているのです。

たとえば学部のゼミでディズニーランドのフィールドワークをおこなったことがあります。ディズニーランドはしばしば「内部だけからなる自己充足的な空間」などと評されてきましたが、実際のところはどうなのか? 学生たちとディズニーランド内を歩きまわり、どこからどのくらい「外部(=現実の東京)」が見えるのか/見えないのかを調べました。するとパーク内では来場者の視線が中心へ(このばあいシンデレラ城ですね)向かうよう巧みに誘導されており、外部へ意識が向きにくいよう工夫されていることがわかりました。「夢と魔法の王国」は、メディア論的な問いの宝庫でもあるわけです。

大学院での修士論文で扱われるテーマもおなじく多種多様です。新大久保における売れないK-POP地下アイドルとファンとの関係、アイドルにおける「卒業」をめぐる日中比較、女子高におけるLGBTQ+、書道における師弟関係のあり方を探求しようとするエスノグラフィーなど、院生自身に強い関心がありさえすれば、どんなテーマでも研究として深めてゆくことができます。

_SAS0366

みずから問いを立て考え抜く力を養う

大学院での指導でもっとも大切にしているのは、院生自身の関心に寄り添うことです。

メディア論に対象ジャンルの縛りはありません。やや誇張した言い方をすれば、どんな事象でもメディア論の問題として扱うことができます。逆にいえば、院生は、じぶんが論文で取り組むべき「切実な問い」が何なのかを、じぶん自身に問いかけてもらう必要があります。一度だけ問いかければ済むのではありません。つねに問いかけつづけなければならない。もちろん急いで答えをださなくてもかまいません。けれど、じぶん自身の問いからけっして目を逸らさない。——それが大学院の学びの出発点です。

この姿勢は学部の卒論指導でも同様です。ただ学部でできるのは、せいぜい学生をメディア論のとば口までつれてゆき、その気配を感じとってもらうところまでです。メディア論の本格的なおもしろさを知るためには、大学院での学びが欠かせません。「お楽しみはこれからだ (Wait a minute, wait a minute! You ain’t heard nothin’ yet!)」、というわけです。

大学院を受験する時点で、研究テーマを無理に絞る必要はありません。入学してからゆっくり、じっくり考えればよい。ただ、テーマは定まっていなくても、じぶんなりの問題意識を持つことはできるはずです。じぶんのなかにある興味や関心、あるいは「なんか気になるな」とか「これっておかしくないか?」といった違和感や疑問を大切にしてほしいとおもいます。そこから自分だけの「切実な問い」が立ちあらわれてくるはずです。

ただし、大学院である以上、一定の学力は不可欠です。ここでいう学力とは、知識量で測ることのできるタイプの能力だけに限定されません。なにより重要なのは、読解力です。読解力を身につけるには、とにもかくにも「本を読むこと」に尽きます。勉強に直接関係する本だけでなく、小説でも詩でもエッセイでも、さまざまなジャンルやタイプの本を一冊でも多く読み、読書の習慣を身につけ、読解力を養ってもらいたいとおもいます。もし「もう一度読んでみたい」とおもわせるような本に出会ったのなら、二度目には章や節、段落など階層構造を意識して読んでみるといい。その本の論理構成をつかむことができ、文章をより精密に読むことができるようになります。

また、卒業論文あるいはそれに相当するような、ある程度ボリュームのある論考を一度は書いておくことも重要です。「書く」という経験は、思考を鍛える最良の訓練だからです。

大学院の学びをとおして院生たちは、自律的・自走的に学びつづける力を身につけてゆきます。じぶん自身の問題関心を養い、よく観察し、よく調べ、よく考え、言葉をつむぎ、新たな問いを見いだしてゆく。この力は、なにも職業研究者だけに必要なものではありません。どんな職業に就くとしても、また、どのように生きてゆくとしても、その営みを知的に豊かにするためには欠かすことのできない力です。みずから問いを立て、考え抜くことのできる人間であることは、人生のいかなる場面にあっても、そしてこの先社会がいかに変容しようとも、つねに最大最強の武器となります。大学院は、そのような力を本格的に鍛える場所です。

文学研究科芸術学専攻の芸術メディア論研究コースは、他に類を見ないユニークな大学院です。狭義の芸術や狭義のメディアに縛られることなく、人間の織りなす文化や社会におけるさまざまな事象を対象とすることができます。「これって研究になるの?」とおもっているテーマほど、じつはメディア論との接点が隠れていたりします。じぶんの問いに真摯に向きあい、思考を深める。それが大学院の学びです。

メディア論の醍醐味と奥深さを学んでみようという方、歓迎します。

_SAS0718