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書評【 オッペンハイマーの時代 核の傘の下で生きるということ】
「知」にともなう喜びと苦悩
武器は他者排除の道具として生まれ、その進化の方向は一貫して殺戮の効率性に応じる「大量化」と「遠距離化」であった。工作的技術にせいぜい工学的な知識を加えた旧来の生産過程に、19世紀頃からは化学や物理学の「知」の成果が続々と投下され、進化が幾何級数的に展開し、第2次世界大戦最末期には核兵器という最終兵器が誕生した。その究極的進化の契機を生きた研究者たちの象徴的人物が、オッペンハイマーであった。
本書は、この悪魔的な兵器の開発に携わった研究者たちが己の社会的な生存を懸け、当時の政治的・軍事的な環境下で、どのように考え行動したかを活写している。そこには人類の生存を脅かす犯罪への加担に「苦悩」する一方で、知ることや考えることへの学究的な「喜び」があふれていた。「価値自由の原則」が問われる状況が、ここにはあった。
私たちは今、核の傘という「相互確証破壊」の危うい均衡の下で生きている。単純な善悪論で何とかなる状況ではないのだ。正確な事実を掴み、その上で自律的に考えることが、今こそ求められているのだと思う。本書は「知」の働かせ方を深く考えさせてくれる。ぜひお薦めしたいと思う。
内藤 潔(2009年社会学研究科博士後期課程修了、株式会社ナイトウ総合計画事務所取締役)
オッペンハイマーの時代 核の傘の下で生きるということ
澤野雅樹(社会学部教授) 著
言視舎 219頁/2,420円
白金通信2024冬号(No.521)掲載