スマートフォン版を表示

「見えざる資産」の可視化に意味はあるか

2022.11.29

企業の事業活動は、市場で投資家から資金を調達することで行われています。投資家の意思決定は企業が開示する財務情報などをもとに行われますが、企業の資産の中には、財務諸表の数字からは読み取ることができない「無形資産」と呼ばれるものがあります。この目に見えにくい資産を研究テーマとする藤田教授は、どのような情報をどう開示することが投資家にとって本当に有益なのか検討を進め、まだルールが定まっていない混沌とした無形資産にかかる情報開示のあり方を整理する研究に力を注いでいます。

藤田 晶子 経済学部長 経済学部国際経営学科 教授神戸商科大学大学院経営学研究科博士課程単位取得退学。博士(経営学)。専門は財務会計、無形資産会計、フランス会計。佐賀大学経済学部准教授、明治学院大学経済学部経営学科教授を経て、2006年より現職。著書に『無形資産会計のフレームワーク』(中央経済社、2012年)など。

貸借対照表では見えない「無形資産」

私が専門とする財務会計は、経営成績や財務状態など、投資意思決定に有用な情報とはなにか、またそれをいかに開示していくかを扱う研究領域です。その中でも私は、研究開発力やブランドなど、貸借対照表(バランスシート)に現れないオフバランス資産、いわば「目に見えない資産」に注目し、会計学の限界と可能性を追究しています。

企業などが持つ資産には、土地、建物、生産設備などの有形資産のほかに、無形資産と呼ばれるものがあります。私が注目している無形資産には、研究開発力やブランドはもとより、従業員が持つ技術などの人的資本、伝統の技、ノウハウ、顧客基盤などが含まれます。物質的な実体を持たないため、計測したり可視化したりすることが難しく、一般的には貸借対照表上の自己資本と株式時価総額の差が無形資産だとされています。無形資産が貸借対照表に現されるのは企業買収によって取得された時だけで、元々その企業が独自に築き上げた技術開発力、ノウハウ、ブランドなどの価値は、貸借対照表を見ても読み取ることができません。

しかし、研究開発力やブランドはまさしく競争優位の源泉であり、こうした無形資産に対する企業の継続的な投資やその戦略上の目的、そして蓋然性は投資意思決定において有益な情報です。企業の無形資産に対する投資額は年々、増加し、有形資産に対する投資額をはるかに超えていますので、これにかかる情報を企業が適正に開示し、投資家がそこからなにを読み取るのかは、今後の財務会計において重要な課題だと考えています。

私が無形資産を研究対象とするようになったのは、フランスでの在外研究がきっかけです。大学院時代からフランスの会計史や情報開示制度の歴史的変遷を研究対象としていたのですが、フランスでの在外研究中にたまたま出席した会議で、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)の財務担当者の話を聞く機会がありました。そこで、LVMHのようなラグジュアリーブランドにおいては、ブランドを土地と同じ、場合によっては土地よりも減価しない恒久資産として考えていることを知り、衝撃を受けたことが今の研究の出発点です。当時日本ではまだ無形資産がそれほど話題になっていなかったこともあり、そうした目に見えない重要な資産があるのだということがとても興味深く、帰国後に無形資産の研究を本格的に始めて現在に至ります。

非財務情報で無形資産をどう表すか

無形資産の価値をどう表すかという問題は、以前からさまざまな議論がなされてきました。2000年代には、無形資産を何とか測定して貸借対照表上で現そうという流れがあったのですが、近年は非財務情報への関心の高まりを背景に、無形資産を非財務情報で説明しようとする動きが広がりつつあります。

非財務情報とは、企業が投資家や債権者に開示する情報のうち、財務諸表などで開示される財務情報以外の情報をいいます。主として、統合報告書やCSR報告書などで報告される任意情報です。今、世界では環境・社会・ガバナンス(企業統治)への影響を考慮するESG投資が拡大を続けていますが、企業のESGに関する情報は非財務情報として開示されるため、非財務情報は日々重要性を増しています。

ただ、今実際に開示されている非財務情報を見ていると、開示された情報がはたして投資意思決定に貢献しているのかは不明で、特に日本では「どの情報をどう開示していいのか分からない」という企業も多いかと思います。日本では2021年6月、上場企業の企業統治の指針であるコーポレートガバナンス・コードが改訂され、そこには無形資産に関する情報開示の項目も設けられています。ただ、その内容は「人的資本や知的財産への投資などについても、自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ分かりやすく具体的に情報を開示・提供すべきである」というもので、具体的にどんな情報をどう開示すればいいのかは、やはりはっきりしません。

また、株主の資本の情報とESGで扱う地球環境や生態系といった自然資本やステークホルダーとの関係性などの社会資本の情報が、無形資産とともに非財務情報の中に混在している点も問題です。ESGは気候変動対策や経営者の腐敗防止といった観点から企業の取り組みを見ていくものですが、会計の世界では、あくまでも投資家から預かった資金をいかに運用し、投資家に還元していくかというキャッシュフローの流れを扱っています。株主による資本と、社会資本や自然資本とは、やはり別次元のものであり、切り分けて整理しなければ投資家の意思決定に役立つ情報開示とはいえないように思います。

会計学の研究者として、非財務情報は財務情報の限界を補完してこそ意義があると私は考えています。多くの場合、企業の研究開発やブランド育成、人的資本といった無形資産への投資は一朝一夕には効果が現れず、長期的な視点で継続的に行う必要があります。ただ、この無形資産への投資は、会計基準上の制約によって「費用」として計上されるため、将来の利益のために行っていても短期的には企業の利益にとってマイナス要素になります。つまり無形資産に投資すればするほど一時的短期的に業績が悪くなるのですが、一方でその投資は、長期的な企業価値の向上に必要不可欠な投資でもあります。非財務で開示する無形資産情報を整理し、無形資産への投資が長期的にはプラスになる可能性があることを十分説明できれば、非財務情報が財務情報を補完する役割を果たせると考え、国内外の実証研究結果および非財務情報を積極的に開示しているEU企業の開示例、そしてEUの社会インフラを分析しながら、EUが市場とコミュニケーションをとりながらどのように非財務のルールを形成していくのかについて、現在研究を進めています。

老舗企業への取材で無形資産の力を知る

指導するゼミでは今年度、東京商工会議所と連携し、日本橋の老舗企業を対象にインタビュー形式で調査研究を行いました。いかに伝統を守りながら時代の変化に応じて変革してきたかについて話を聞き、その内容を動画にまとめて公開する予定です。

この活動を通して学生は、財務諸表に表れない伝統の技やブランドの価値、さらにその価値を重んじる経営者の想いを感じ取り、数字からは読み取れない企業の力を肌で感じることができたようです。取材したある食品関連企業では、食生活の変化で市場自体が縮小傾向にあるものの、価格を下げることはせず、職人技で作られた質の良い商品を買ってくれる顧客を大切にしているという話を聞きました。さらに印象的だったのは、原材料の生産者への配慮です。価格を下げずに頑張っているのは、よい原材料を作ってくれる漁業・農業の関係者の努力に少しでも高い買取価格で応えるためでもある、という言葉には私自身も感銘を受けました。学生たちにも、サプライヤーにも配慮したビジネスとその価値が伝わったのではないかと思っています。

数字のウラを読む会計の面白さ

授業では、学生に財務会計の面白味をどう伝えるか、ということを意識しています。会計学にはいろいろな面白さがあるのですが、特に私が感じている会計の面白さとは「作られた数字のウラを読む」ことの面白さでしょうか。企業の財務諸表を見ると、どれも下一桁までぎっしり数字が並んでいるので、いかにも“真実”のように見えます。しかしその数字は、会計処理のルールに則っていればいくらでも調整できる数字です。たとえば、会計戦略の一つにビッグバスという手法がありますが、これは業績の悪い決算期にあえてリストラなどを行い、それまでにたまっていた損失という“垢”を落とし、翌期以降V字回復したように見せる手法です。経営者が代わるタイミングでこのビッグバスを使うと、新しい経営者が前任者の膿を出し、自分の手腕で劇的に業績を回復させたように見せることができます。こうした演出を、ルールから逸脱することなくどう作るか、もしくは、作られた数字をどう見抜いていくかという視点を持つと、会計の世界がより面白く感じられると思っています。

さらに、授業では、正解のない問題に対して学生が自分の考えを組み立て、論理的にアウトプットする力を養うことも重視しています。コロナ禍を機に、本学を含め全国の大学でオンライン授業が行われるようになりました。録画された授業を好きな時に見られるオンデマンド授業では、一部だけをピックアップして見たり、倍速で見たりすることも可能だと思うのですが、知識を早く得ることだけをめざすそうした態度では、自ら考えて意見を表明する力は身につきません。社会科学の学問には、正解がありません。学生には、講義やレポートを通していろいろな視点で物事を見、「なぜ」と問いを立てて自分なりの答えを考え、論理立てて説明できるようになってほしいと思いながら指導を行っています。

効果的な情報開示が日本企業の競争力を高める

無形資産の情報開示に積極的なのはEUで、すでに非財務情報を第三者機関がチェックするレビュー制度もあります。アジアでは、韓国も無形資産の情報開示に関する報告書を出していますが、日本にはまだそうした動きはなく、今開示されている非財務情報には企業にとって都合の悪い情報がほぼ出てきていません。玉石混淆の感がある非財務情報を整理し、投資意思決定に本当に役立つ情報が効果的に開示されることが今後の日本企業の競争力を高めていくと考え、これからもそれに資する研究にしていきたいと思っています。

また、欧州での動きを中心に、非財務情報に関するルールにEUの思惑がどの程度強く出るのかという点にも興味を持っています。企業の財務情報には、嘘の情報で投資家をだますことがないよう、各国政府が厳しい規準を設けています。その規準の一つに「会計基準」があり、現在その会計基準の国際標準化を巡って、各国・地域が主導権争いを繰り広げています。その中心にいるのがEUです。EUは現在、上場企業にEUが作った国際会計基準(IFRS/International Financial Reporting Standards)の適用を義務づけ、EUの企業と取引のある各国の企業でもIFRSの導入が広がっています。自分たちに有利なIFRSを世界標準にしたいEUは、昨年から非財務情報もIFRSの枠組の中に位置付けて扱い始めました。財務情報と非財務情報の両面から覇権を握ろうとするEUと各国のパワーバランス、さらにそうした国際的な動きに日本はどう対応していくべきなのかといったことについても、将来的に検討していきたい課題です。

研究者情報

明治学院大学は、研究成果の社会還元と優秀な研究者の輩出により、社会に貢献していきます。


取材・撮影について

本学および勤務員(教員など)の取材・撮影のご相談はこちらからお問い合わせください。

フォームでのお問い合わせ

  • 本学に直接関連のない撮影、収録、ロケ地としての貸し出しは原則としてお断りしております。
  • 在校⽣、卒学⽣、勤務員の個⼈情報に関する個⼈的なお問合せには応対しかねます。
  • 企画書等のファイル送信をご希望の場合、以下のアドレスまでご連絡ください。
    総合企画室広報課: koho@mguad.meijigakuin.ac.jp

おすすめ