- 畠山 達 文学部 フランス文学科 教授東京大学人文社会系研究科欧米系文化研究専攻修士課程修了。Université Paris-Sorbonne, Paris IV 博士課程修了。Docteur(博士)。専門はフランス近代詩(ボードレール)、フランス教育史、日本におけるボードレール受容。日本大学法学部准教授、本学文学部フランス文学科准教授を経て、2020年4月より現職。近著に『フランス文学の楽しみかた―ウェルギリウスからル・クレジオまで』(共著、ミネルヴァ書房、2021年)など。
詩集『悪の華』などの作品で知られるフランスを代表する詩人ボードレール。その詩の言葉には「挑発的かつ反抗的な力強さがある」と熱を込めて語るのが、ボードレール研究を専門とする畠山教授です。200年前のパリ市民の目でボードレールの文学を読み解こうと、歴史の中に埋もれてしまった文献を丹念に掘り起こし、精力的に研究を続けています。さらに、「文学とは生きる力を学ぶもの」という教えを大切にしながら、フランス語、フランス文学、そしてレトリック教育を通じて、学生に言葉の力と健全な懐疑心を伝えることにも情熱を注いでいます。
私は、19世紀フランスの詩人・批評家であるシャルル・ボードレールの詩学を主に研究しています。
ボードレールは、当時のブルジョア的道徳観に対して挑発的な詩を書いた人であると同時に、過去の美学的規範を踏襲するのではなく、その時代の新しい美を提唱した詩人でもあります。博士論文でボードレールが受けた当時の中等教育について研究し、その研究成果を土台に、現在はボードレールがどのようにして詩作をしたのか、詩と絵画の関係、古典教育で使われた表現の技法がどうボードレールの詩に組み込まれているかなどを中心に研究を進めています。そのほかに、日本におけるボードレール受容にも興味を持っています。特に、明治時代後期から大正時代にボードレールの詩を原文訳した詩人・大手拓次に注目し、彼とボードレールの関係性を通して日本の近代詩についても研究しています。
ボードレールは、非常に多様な顔を持つ詩人です。古典的な一面もありますし、「新しい詩人だ」と言われればそういう面もある。奇抜な人で、頭の良い人で、お母さんのことが大好きな人。いろいろな面を持つ人ですが、個人的に一番強く思うのは、言葉にものすごい力、特に挑発的かつ反抗的な力強さの込もった詩を書いた人だということです。それは、私がボードレールの詩と初めて出合った時に感じたことでもあります。
ボードレールを読み始めたのは、高校生のころでした。何もかもが嫌になっていた時期で、今思えば激しい反抗期だったのだと思います。自分は家族の規範や社会の規範でしか世界を見られていない、自分の目では世界を見ていないという思いがとても強く、なんとか家を出て、他者の規範という“眼鏡”を外したいと躍起になっていました。そんな時に出合ったのが、ボードレールの散文詩「Anywhere out of the world」(この世の外ならどこへでも)。まさにそれを願って日本を飛び出し、アメリカに1年間留学することを決意したんです。
当時は「周りの人があまり知らないボードレールを読んでいる自分ってかっこいい」という多少ナルシスト的なところがあったかもしれませんし、詩の意味もそれほどよく分かっては いませんでした。ただ、何よりもボードレールの言葉から発せられる反抗や挑発のエネルギーを感じて、その力に惹かれたのは確かです。その思いは今も変わりません。
21世紀の日本人が19世紀のフランスの人々と同じ目で作品を読むのは、そう簡単なことではありません。当時と今とでは、言葉の意味が違うこともあれば、読み手側の教養も違います。作品で暗にほのめかされている人物や出来事には、今ではよく分からないものもあります。当時にタイムスリップできればいいのですが、そうもいかないので、過去を再現できる特殊な望遠鏡をのぞき込むような気分で研究をしています。
私は大学院時代、ボードレールの文学を理解する前提として、まず彼が受けた教育について研究しました。それは、当時の学校教育の内容が分かれば、ボードレールの文化的土壌の理解につながると考えたからです。ところが、私が知りたかった19世紀の中等教育は、フランス第三共和政以降に形成された「フランス文学史」という学問の中では、ある意味「敵視」されていた分野でした。ボードレールが受けた中等教育は、主にラテン文学を土台とする古典的な学問ですが、フランスが普仏戦争に敗れたことで、そうした古典教育が「時代遅れ」と否定されてしまったからです。その結果、私がフランスの大学院で研究を始めたころには、関連する文献や資料が埋もれてしまい、断片的にしか見つからない状態でした。先ほど研究を「望遠鏡をのぞき込むように」とお話ししましたが、実は望遠鏡のレンズは、割れてバラバラに飛び散った状態だったわけです。なんとかレンズを修復しようと、時間を掛けて当時の教科書や報告書を探し集め、膨大な資料を調べていくと、ごくたまにですがピントが合い、今まで見えなかったものが見えることがあります。その瞬間の喜びは本当にかけがえのないものです。
最近「ピントが合った!」と興奮したのは、ボードレールの詩の中に、カラッチやプッサンなどの絵画で扱われている「バッカスの勝利」という古典的テーマが織り込まれていることに気づいた瞬間です。「うわっ!見えた!ピントが合った!」。そう思った時は本当に気持ちがよくて、非常にうれしかったですね。ただ、すぐに「いや待てよ」と。誰かがすでに論じていることかもしれないと思い返して、過去の研究書や注釈書を調べ始めたのですが、調べても調べても、どこにも書かれていない。そうなると不思議なもので、自分が発見した喜びよりも、不安の方が勝ってくるんです。もしかしたら、誰でも知っている当たり前のことかもしれない。友人の言葉を借りるならば、「誰も知らない細い小道を歩いているつもりだったのに、いつの間にか大通りに出てしまった」のかもしれない。そんな恐怖心に駆られながら、これ以上は調べられないと思うところまで調べ尽くして国際学会で発表したのですが、パリ留学時代の恩師に「説得的だった」と評価していただくことができました。本当にホッとしましたし、うれしかったですね。
研究で何かを「発見した」と思うと、その瞬間は大きな喜びや興奮を感じますが、その後は非常に懐疑的になり、「自分は間違っているかもしれない」「ボードレールはそう考えてはいなかったかもしれない」という思いと戦うことになります。この懐疑心がなくなってしまったら、研究者としては失格なのかもしれません。そして、そうした健全な懐疑心を持つことの大切さは、折に触れて学生に伝えていることでもあります。
学生の意見に対して私が発言をする場合でも、「教員だからといって私の意見が絶対に正しいわけではない」と断りをいれるようにしています。あらゆる物事には多様な意見があり、それぞれの意見には理由や背景があります。それは、文学の解釈でも、社会の事象に関する考え方でも同じことです。私の授業では、さまざまな見方を提示しますが、私が「どれが正しいか」を言うことは避けています。どの意見に賛同するかは学生自身に委ねて、自分で考えてもらいます。そこで考えられる能力を養うことこそが大学教育だ、と私は思っています。
何かを絶対的に正しいと盲信することは、とても恐いことです。16世紀の宗教戦争を生きたモンテーニュがたどり着いたのは、「私は何を知っているだろうか」という懐疑主義的な立場でした。さらにモンテーニュは『エセー』の中で、「私は、自分の求め願うことに対して、少々敏感に警戒する」とも書いています。自分と同じ意見を見聞きするのは心地よい一方で、自分の考えを否定され、疑われるのは不快でもあります。しかし、自分の考えに合う情報、自分が求める情報だけに触れ、それをやみくもに信じることほど恐いことはありません。多様性が大きな社会課題になっている今だからこそ、「絶対的に正しいものはない」「自分は間違っているかもしれない」という気持ちを持ち続けることの大切さを、自戒の念を込めて学生にも伝えています。
私のゼミでは、学生が主体となって運営している点、そして、レトリックを徹底的に意識させている点が大きな特徴になっています。日本で「修辞学」と訳されるレトリックは、口先だけの軽薄な言葉遊びと誤解されることも多いのですが、本来は自分の考えを論理的に相手に伝え、説得するための技術です。
レトリックには発想、配置、修辞、記憶、発表の5つの要素があります。何を言うべきかを「発想」し、それをどんな順序で話すか「配置」を決め、どんな言葉や比喩を使うか「修辞」を考え、聴衆の目を見て話せるように「記憶」し、話す速度やボディーランゲージにも気を配って「発表」する。この5要素を意識したゼミ発表を、学生に実践してもらっています。
ゼミで身につけたレトリックの技術、さらに、1年生から積み上げてきたフランス語の語学力、フランス文学やフランス語圏の文化について深めてきた知識を総動員して取り組むのが、フランス文学科全員必修の卒業論文です。内容やレトリックはもちろん、誤字脱字や語尾など細かいことにも厳しいので、私のゼミは「畠山道場」と呼ばれたりしています(笑)。学生たちはヒーヒー言いながら卒論を書いていますが、それを添削したり審査したりする教員も必死です。しかし、フランス文学科の教員たちには、どれほど大変でもそれをする価値があるのだという共通認識があります。学生と教員のお互いが真剣勝負なので、良いものが生まれた時は本当にうれしく思いますし、4年間の学びが花開くのを感じ取るのは大変感慨深いことでもあります。
今年、明治学院大学のフランス文学研究にとって非常に貴重な本が多数蔵書に加わりました。特にボードレールのデビュー作『1845年のサロン』、死去する一年前に刊行された『漂着物』、そして1857年に刊行された『悪の華』の初版本は注目に値します。この『悪の華』初版本は、当時1300部ほどしか刷られなかったらしいのですが、裁判で削除が命じられる6編の詩が掲載されている貴重な本となっています。他にも1855年の『両世界評論』誌、ボードレールによるポーの翻訳、『人工楽園』、ヴァーグナー論なども今回蔵書することになりましたが、これらに既に所蔵していた第二版と第三版の『悪の華』を加えると、ボードレール関連の稀覯本がこれほど揃っているのは、日本の大学では明治学院大学だけだと思われます。数年前、アメリカ・ヴァンダービルト大学のボードレールセンターで開かれた国際学会に参加したのですが、そこには『悪の華』の初版から日本語訳もはじめ世界中の全集まで含めた膨大な数の蔵書がありました。その充実ぶりに圧倒されたのですが、明学にもあの環境に少しでも似たものをつくりたいと思ったことも、今回の初版本購入につながっています。
私が今ボードレール研究者でいられるのは、私一人の力ではありません。たとえば、今は亡き阿部良雄先生(東京大学名誉教授)が訳したボードレール全集がなければ到底今日のような研究はできませんでしたし、これまで多くの先生方が積み重ねてくださった研究のおかげで今の私があります。連綿と続いてきたその流れを継承することは、研究者として大切な責務であり、ボードレールの貴重なコレクションを明学に残すことができたのも継承の一つの形でもあると思っています。
さらに、明学のフランス文学科には私のほかにも研究と教育に励む多くの教員がいます。初版本の購入は、ボードレール研究の垂直的つながりと、フランス文学科の先生方の水平的つながりの2つが結実して実現したものです。もちろん、「形」だけでなく、それを使って研究をする「人」も残さなければなりません。あまり偉そうなことは言えないのですが、物と人の両方を残すことに貢献し、「ボードレールの研究がしたいなら明学へ!」と自信を持ってアピールできる環境をつくっていきたいですね。
よく「文学を勉強してどうなるの? 何の役に立つの?」と聞かれることがあります。その答えの一つとして、「言葉を大切にできるようになる」と言えます。4年間で学んだ知識とレトリックの技術を使って懸命に論文を書く経験をした学生は、論文で使う言葉一つ一つの背景や意味を深く考えざるを得ないので、言葉の使い方がどれほど大切か、分かるようになります。学生が卒業後に文学部で何を学んだのかと聞かれた時、「言葉を大切にすることを学びました」と答えられるようになっていたら、それでもう万々歳だと私は思います。
それとは別に、「そもそも文学とは何か」という視点で文学が何の役に立つのかという問いを考えてみると、その答えの鍵が見つかるような気がしています。
この世で古い文学の多くは、神話や宗教に関連するものです。たとえば『聖書』『コーラン』『古事記』『アエネーイス』『神曲』などがありますが、これらに共通しているのは「世界はどのようにできたか?」「私はなぜ今ここに生きていて、これからどう生きればいいのか?」という問いに答えようとしている点です。つまり文学とは、「自分はなぜ生きているのか」という問題への答えを求めて書き続けられているもの、と言えるのです。私の恩師の言葉を借りれば、「文学とは生きる力を学ぶもの」です。「文学を学んで何の意味があるの?」と問う人には、逆に聞いてみたいですね。「自分がなぜ生きているのか?と問うことに意味はないのか?」と。
明治学院大学は、研究成果の社会還元と優秀な研究者の輩出により、社会に貢献していきます。
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